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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (113)      2020.vol.36 no.417



         悪霊のごと花びらは掬ふべし          鬼房

                                  『海 溝』(昭和三十九年刊)


  「花びら」は桜(昔は梅)の花びらであろう。いわゆる雪月花の「花」が晩春に散って、落ち

 た弁だ。「掬」える状態なのだから、水面に落ちている。霊力を持つ花が散る時期は悪霊

 が活溌になると昔は信じられていて(鎮花祭が行われていたくらいだ)、この句もそんな時

 分に違いない。

  句の構造から、「ごと」 は 「ごとし」 でなく 「ごとく」 の意味になる ( 「ごとき」の意味は元

 々ない)。また、「ごと」 の位置が「掬ふ」の直前にないことから、悪霊的な掬い方があるの

 ではなく、悪霊のように誰かが掬う行為を行うべきなのだと解釈した。曲者は 「べし」 で、

 極めて多義的な言葉であるが、どの意味と取るかによって誰が掬うべきとされているのか

 も変わってくる。さて、推理。

  悪霊というのは祟っても怨んでも驚かない、無惨な死を遂げた存在だ。まつろわぬ神・鬼

 の類とされた人間も多い。本来は心清かった存在であり、花を敬って愛でる心も人一倍持

 っている。しかし、哀れなことに、悪霊である以上は、満開のときは花には近づくこともでき

 ないし、散ったのちでも霊力のある花びら自体には触れられない。だから悪霊は花びらを

 浮かべた水ごと掬うしかない。掬ってはじめて花を愛でることができるのだ。そして、みち

 のくの鬼房も私たちも、古の悪霊に繋がる、まつろわぬ側に立つ人間であれば、花びらは

 掬ってみるべきものに他ならない。

                          (堀田 季何 「とりあえず俳句部」 代表)



  『海溝』は切ないほど直向きな句集である。

  この時期鬼房は、〈股倉に閃光を溜め鋳物接ぐ〉〈鉄皮削ぐ旋盤に風熱砂めく〉の作品に

 あるように塩竈の鉄工所や製氷会社で生活の糧を得ていた。病苦と生活苦のなかで編ま

 れた『海溝』。しかし、このなかの三三五句は誌上句集として俳誌「天狼」に掲載される異

 例の扱いを受けた。掲句もそのなかの一句。後年、「証言昭和の俳句」の自選五〇句にも

 収められているから愛着の一句だったのか。

  〈悪霊のごと花びらは掬ふべし〉。月の光もない闇のなかで大きな桜の樹の下に降り積も

 った花びらを、掬っては抛り掬っては抛る悪霊。おんおんと泣く声も聞こえそうだ。能の仕

 舞にも似た妖しくも美しい光景。「私はいつも、修羅の果てに見えてくるもの。その幻影を

 追いつづけているようだ。」とした、鬼房的なイメージ豊かな一句である。

  ところでこの悪霊は何を指しているのだろうか。

  下五の〈掬うべし〉という強い指示語は、鬼房自身に向けられたものだろう。とすると悪霊

 は単にイメージ上の詩的効果を狙っての言葉ではなくなる。推測だが「俳句的悪霊」を指し

 ているのであるまいか。自らを鼓舞し奮いたたせる覚悟の一句とも読める。

  あとがきでは 「あいかわらず苦渋の生活諷詠にすぎないが、この『海溝』一遍をもって、

 鬼房の第二期を終わりたい。」 と記されている。

                                             (浪山 克彦)