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2020/5 №420 小熊座の好句 高野ムツオ
切株に根が残りゐる春の月 神作 仁子
切株で思い起こすのは大津波でもぎ取られた松の木である。七ヶ浜町菖蒲田浜の
松。根元から引きちぎられていた。渦巻き状に波の力が加わったに違いない。子供
達と海水浴をよく楽しんだところだから、その無残な根の姿には言葉を失った。雑誌
の取材で、その六月訪れた高柳克弘をそこに案内した。螺旋状に毛羽立った根を見
た時の驚いた氏の顔は今も忘れられない。この句は、津波被害の根と特定する必要
はない。むしろ、人間によって伐り倒された大木の方がイメージしやすい。残った年
輪に穏やかな春の月の光が降り注がれている。この句の魅力は、命途絶えてなお地
中深く伸びている根に視線が注がれているところだ。もしかしたら根は今も生きてい
て土中へとさらに伸びているかもしれない。月光もまた、そこに届いているかもしれな
い。生を中断された木への慈愛のまなざしがある。
親もなくマスクも無くて仙石線 水月 りの
新型コロナウイルスが猛威をふるっている。相馬生まれの大須賀乙字は大正九年
三十八歳で亡くなっている。死因はスペイン風邪だった。百年前のこと。ウイルスも怖
いが、それを巡る人間の動きもまた怖い。隠蔽疑惑に人工ウイルス説が闇を深くして
いる。人間が人間を滅ぼすことにつながりかねない。歌人の伊藤一彦は 「狼その他
多くの野性の動物に危害を加えてきた人間への問いをウイルスは発しています」 と
私信で記していた。神が傲慢な人間に下す誅罰の始まりかもしれない。掲句も今回
の騒ぎに限定して鑑賞する必要はない。例年のインフルエンザへの恐れを下敷きに
しても鑑賞可能である。車窓から心細いまなざしを向けた先に仙台湾の波の輝きが
広がる。
白梅に馬来よ石川雷児の忌 あべあつこ
石川雷児は龍太門の俊秀。将来を嘱望された俳人。三十六歳の若さで昭和四十
八年に亡くなっている。この句は彼の代表句 ( 冬の馬美貌くまなく睡りをり ) を踏ま
えている。確か福永耕二と同世代だったはず。存えていれば二人とも現代俳句の牽
引者であった。栃木生まれ、足尾鉱山に勤めた。死因に鉱毒が関係しているとの説
がある。
夜の森の花見に生者加はりぬ 平山 北舟
加わったのが死者ではなく生者であるところにイロニーが発揮されている。イロニー
はイロニーだけで終始したときは皮相なものとなるが、悲嘆や慈愛と重なり合うとき
深いポエジーを湛える。「夜ノ森」の地名由来は戦国時代、岩城藩と相馬藩が領有を
巡って争い「余の森」を主張したことによるとの説がある、しかし、私には、日高見ま
で侵略しようとした天孫族の首領が蝦夷の抵抗の果て、亡くなり葬られた塚、一夜塚
に由来するという説の方が腑に落ちる。夜桜の下で再会を喜び合う人々の姿が彷彿
する。
あくびして魂おもくなりにけり 菅原はなめ
古代ギリシャでは、あくびは人間の魂が天に向かって逃げようとしているときに起こ
り、口に手を当てるのは、それを防ぐためだという。この句はその正反対。
生涯に門出は一度梅の花 須﨑 敏之
春の闇髪の毛伸びてゐる途中 千倉 由穂
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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