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2020/7 №422 小熊座の好句 高野ムツオ
縄文の不滅の炎大蕨 佐竹 伸一
志貴皇子の 〈 岩走るたるみのうへの早蕨のもえいづる春になりにけるかも 〉 は春
到来の喜びを告げる名歌として知られる。この歌の蕨は薇との説がある。蕨は通常
日当たりのよい草原などに群生するので、滝という湿った場所がら薇であろうという
訳だ。中国語では蕨は羊歯を指し英語の詩では羊歯が蕨を指すらしい。蕨、薇いず
れにしても古代からの救荒植物であった。この歌は恋の成就の意を含むとの見方も
あるが、いかに作者が高貴であっても、新しい季節を迎えた喜びに、飢えからの解放
感が重なっていると解したい。蕨から澱粉を取る技術は縄文時代からあったそうだ。
干し蕨などの保存法の発明も古い。山形や岩手などでは春に 「 きどい 」 山菜を食
べると一年間病気をしないとか、冬じゅうに溜まっていた毒が抜けるとの言い伝えが
ある。野本寛一の 『 季節の民俗誌 』 で知った。きどい山菜の代表が蕨だ。蕨は縄
の材料にもなり、干し蕨は火傷、ぜんそく、頭痛等の民間薬としても利用されてきた。
「 わらび 」 の語源は藁火、蕨手刀などとも用いられる蕨手は赤ん坊の握り拳のこと
だ。蕨手刀は東日本の縄文系狩猟民族が用いた刀。形状からの命名だが、古来、
蕨が再生復活の象徴であった好例と言ってよい。蕨はさまざまな面から「縄文の不滅
の炎」なのである。
新樹よりウポポイの声途切れなし 後藤よしみ
「 ウポポイ 」 は今年四月から開業予定だった国立アイヌ民族資料館などアイヌ文
化の復興継承を目指した 「 民族共生象徴空間 」 の愛称である。北海道白老町にあ
る。このたびの感染症騒ぎで記念式典は7月11日に延期されたとのこと。順調なら
まもなく開業となる。だが、この句の 「 ウポポイ 」 は原義の 「 おおぜいで歌う 」 こと
を意味する、アイヌ語のそれである。萱野茂の 『 アイヌ語辞典 』 には 「 ウポポイ 」
の項はないが、 「 ウポポ 」 が載っている。座り歌のことで六人が円座になって丸い
太鼓のようなものを囲んで歌を歌っているイラストが掲載されている。どんな歌か見
当もつかないが、新樹から聞こえてくるのだから 「 カムイユーカラ 」 のような内容の
歌詞かとも想像する。智里幸惠編訳の 『 アイヌ神謡集 』 などには梟や狐、それに虹
などが歌う神謡がいくつか紹介されている。それらの歌を例えば背の高いポプラが一
列になって、滅ぼされた、誇り高きアイヌ民族を偲びながら、その復活を祈り声を上
げている姿を思い浮かべたい。
ぼうたんのうしろの闇の牡丹かな 日下 節子
「 ぼたん 」 を 「 ぼうたん 」 と表記し、四音で読むのは俳句に限らない用法のよう
だ。『栄花物語』などにも先例がある。 「 ほたる 」 を 「 ほうたる 」 とするのは日本国
語辞典によれば 「 歌舞伎・傾城筑紫琴 」 ぐらいだから、こちらは台詞、つまり俗語
である。 「 あめんぼう 」 は愛称のようでもあるが、飴のような匂いの棒を指す飴棒か
らの命名だから、「 あめんぼ 」 より 「 あめんぼう 」 の方が正しいことになる。なかな
か難しい。好みからいえば 「 ぼうたん 」 より 「 ぼたん 」 だが、ここでは、ゆったりし
た調べが効果的だ。目の前の牡丹とその背後の闇に浮かぶ牡丹。さらにその奥の
牡丹。匂いまで妖婉な世界が重層的に展開されている。
胛の弛みて牡丹崩れたる 佐藤 弘子
「 胛 」 は 「 かいがね 」、肩甲骨である。それが緩むということは、肩がすぼまって
そのまま前のめりに膝から崩れることである。重い牡丹が自らの重さでうなだれたさ
まだが、作者の心象と二重写しになっている。
ががんぼのんぼの部分拾いけり 菅原はなめ
単なる修辞の面白さに終わっていないのは、「 んぼ 」 の表記や音が障子あたりを
這うががんぼの飛び方や脚の形態とぴったりだからだ。昨夜のががんぼは消えてし
まって障子の下に片脚だけ残っている。
蜘蛛の糸煌めきてゐて蜘蛛見えず 斎藤真里子
夏の月出でてチャーハン出来あがる 関根 かな
海神の総身の雫大夕立 曽根新五郎
風鈴にしぶきを残しオートバイ 古川 修治
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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