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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (119) 2020.vol.36 no.423
母の遺影いよいよ畏残り雪 鬼房
『幻 夢』(平成十六年刊)
鬼房の年譜に拠れば、鬼房の母は1993年に亡くなっている ( 『佐藤鬼房俳句集成第
一巻』 )。その時に作られた俳句群は 『霜の聲』 に収められており、直接母の死を詠んだ
と思われる句には 「耳が沈んで菊月の死者とあり」 「心不全夜寒の雨月物語」 がある。こ
れらの句には前書きがなく、時期を同じくして亡くなった井伏鱒二や山口誓子を悼む句と
は少し異なる。鬼房の悲しみの底の深さが伝わってくる。掲句は2001年に読まれている
が、これは当然ながら鬼房の死の直前である。その背景知識も併せて考えると、この俳句
の凄みが違ってくるように思う。 「母の遺影」 とゴツゴツした字余りで始まり、「いよいよ畏」
と絞り出すような言葉が続き、 「残り雪」 と少し切れた後に季語で閉じられる。母亡き後も
この世にあり続け、病みつつ句を詠み続けた自身の姿を、時を置かずして解けてしまう
「残り雪」 に重ねているのかもしれない。また、「残る雪」 ではなく 「残り雪」 としたことから
も、自ら地上に残っているのではなく、あくまで残ってしまった、自然の摂理によって残され
てしまった雪にこそシンパシーを感じているのだろう。 『幻夢』 には他にも肉体感覚に裏打
ちされた佳句が多く収録されているが、特にこの句の 「いよいよ畏」 と言い募る鬼房の心
を想像する時にこそ、残雪に手を突っ込んだかのような冷たさが僕の胸に残るのである。
(生駒 大祐 無所属)
鬼房にとって、彼の早世した父や 「父性」 なるものが大きなテーマであったことは言を俟
たない。一方で 〈半夏の雨塩竈夜景母のごと〉 の句もある通り、「母性」 もまた、彼にとっ
て憧憬の対象であった。鬼房だけではなく、戦後世代の幅広い問題として、母なる大地と
いう言葉が端的に表すように、「母」 や 「母性」 が創作のインスピレーションをもたらすた
めの存在だったことは否めない。ただし、六歳で亡くし、恐らく実態の摑めぬままだったで
あろう 「父」 と異なり、母は現実として鬼房の傍にあった。
掲句では、鬼房自身の晩年、 「遺影」 として手元に残り、〝生きて、在った存在〟として
の母が、 「いよいよ畏」 と〝死者たるもの〟に変貌していく。鬼房は憧憬の対象ではなく、
畏れるべき死者として母をイメージし直している。母は、鬼房に 「死を見せた」 。鬼房は、
若かりしとき戦地で遭遇した死とは異なる在りようを、母に見せてもらった。そして自分もま
た、自らの死を誰かに見せるのである。これは死をめぐる人間の儀式だ。野生動物には
ない喪と弔いを、身を以て体験させてくれた母に対し、「畏」 とこうべを垂れる鬼房に、彼の
一貫した人間性の追及を見るのである。
この句の季語 「残り雪」 は、死を思う鬼房の、強かであるが穏やかなまなざしを感じるこ
とが出来るだろう。
(樫本 由貴)
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