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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (123) 2020.vol.36 no.427
白桃を食ふほの紅きところより 鬼房
『瀬 頭』(平成四年刊)
のっけから、白桃である。桃といえば、成熟に向かう匂いも含めて明るく華やかな秋の果
実だ。なんといっても「果実」という言葉がぴったりな神秘さを纏う食物だと思う。なかでも
白桃は外皮がいわゆる皮膚のような独特の質感があり、瑞々しい食感も相まって、「中
年や遠くみのれる夜の桃」(西東三鬼)をはじめとして、象徴としてのエロスを前面に出し
て読まれる場合も多い。
この句は、瑞々しいけれども少しの傷からいたみやすい白桃の紅さを詠う。どこから食
べるかと言えば、紅いところ。それは種の周りだから、果肉を切らないとたどりつかない。
「食=性」という考えを含めて、桃に入る刃を思うと、どんどん甘美さが増す。
けれどもエロスを抜きにこの句を読んでみると、水や土にこだわりながら、完熟まで桃を
育てた農園に生きる人々の愚直さや、桃を食う寡黙な背中が見えてくる。むしろそう読ん
だ方が、みちのくにいきた鬼房に思いを寄せることになるのかもしれない。確かに誰もが
経験したことのある現実があり、俳句そのものが視線をそらさず私に向かう。
本句は鬼房が亡くなる十年前の1992年に刊行された『瀬頭』(蛇笏賞受賞)に収録され
ている。七十歳前後でこのような鮮明かつ耽美、そして迷いのない世界が詠めると思う
と、たいへんうらやましい。
(宮本佳世乃「炎寒」「オルガン」「クプラス」)
第十句集『瀬頭』の中の一句である。一読すると、難解な言葉は使われていない。かえっ
て簡単な言葉の中にこそ鬼房の思いやメタファーが込められている。
桃の原産は中国といわれ、日本では弥生時代の遺跡から桃の種が見つかっている他、
古事記や日本書紀にも記載がある。中国には、桃を食べた仙人が不老不死となった説話
があることから「仙果」とも呼ばれ、花や葉、枝にも邪気をはらう効果があると考えられてき
た。日本でも鬼を恐れさせるといわれてきた。
ここでいう「桃」とは何を指すのだろうか。そこで注目したいのは「ほの紅き」であろう。紅
いから連想するのはやはり「血」である。不死の果物「桃」のより生命を感じるところから食
すというわけである。しかし、それだけではなく鬼房の俳句への執着とみることもできる。た
だの白い果実のところではない「ほの紅き」場所を食らう。
鑑賞とは関係ないかもしれないが、桃というと形ゆえに臀部をイメージしてしまう。黄桃な
ら少年、白桃なら赤子や少女か。そのような解釈をすると句の取り方が全く異なってしまう
のだが。見当違いである。失礼した。
生命力の象徴であるような「桃」を食すのである。やはりここでは鬼房の自身の体への
不安が作品に表れていると取るべきかもしれない。
(須藤 結)
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