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 小熊座・月刊 
  

                
                 秀句の泉 ≪河北新報掲載≫
                                       及川真梨子


  ≪九月≫


 №27   銀杏を拾ひ大きな影を出る       早野 和子1935年


  
ここに描かれていない小さな影があります。それは銀杏の実を拾おうとしてしゃがんだ自分自

 身の影です。今出てきた「大きな影」とは、言わずもがな銀杏の木のもの。小さな実を拾ってい

 ると、そこに集中して周りの景色は見えていません。拾い終わった晴れ晴れしさが、木の影の

 大きさを見つけさせるのです。銀杏の実は私の影を出て、私は銀杏の木の影を出る。日差し

 の中を歩き出すと、ひと仕事終えたようなのびやかさも感じられます。

                                      句集『種』より。



 №26   霧の夜のわが身に近く馬歩む       金子 兜太1919~2018年


  
霧のベールは街や人を覆い、その存在を神秘的なものにさせます。私のそばには馬がいま

 すが、私が馬を引いているのか、ただ寄り添い歩いているだけなのかは示されていません。目

 からの情報を遮断された中では、馬の筋肉の躍動や肌に感じる温かさ、自分よりもはるかに

 大きい生き物としての気配が浮き立ってきます。かつて馬は農耕や移動の手段として私たちの

 生活に密着し、近しい存在としてありました。その息遣いが霧の中で迫ってきます。

                                      句集『少年』より。



 №25   台風の過ぎて大空入れ替はる       山田 佳乃(1965年~)


  
ここ数日も台風が過ぎていきました。来る前はどんよりとした空模様ですし、通過中は強風と

 大雨で大変です。しかし過ぎた後はからっとした天気になりやすく、爽快な洗濯日和です。台風

 が湿った空気を吸い込み、高気圧と交代していくからのようですが、それを大空という空間がま

 るごと交換されたかのように表現しています。台風一過の空の下に身を置いていると、自分自

 身の心持ちまでもが明るく入れ替わったような気分になります。

                                      句集『春の虹』より。



 №24   鵙の贄ここより大気乾きゆく       角谷 昌子(1954年~)


  
鵙(もず)は小型ながらも肉食の鳥です。捕まえた虫やカエルを木の枝に刺す「はやにえ」と

 いう習性が知られています。冬の間の備蓄という説もあるようですが、食べずに干からびて残

 されるものも多く、理由は解明されていないようです。干からびた小さな生き物を起点に、大気

 全体が乾いていく、それには当然想像も含まれますが、鵙の贄(にえ)に感じる乾きや見た目

 の残酷さが、冬に向けてだんだんと乾いていく空気感と呼応しているようです。

                                      句集『地下水脈』より。



 №23   月光のまぶしき部屋に帰りきし       名取 里美(1961年~)


  
「 帰りきし 」とは「 帰ってきた 」という意味です。日中の仕事や用事を終えると、あたりは真っ

 暗。部屋の中は出た時のままで、朝に開け放したカーテンから月の明るい光が差し込んでいま

 す。見慣れた自分の部屋ですが、月光に照らし出されて涼しげな表情です。窓の外の夜と室内

 が同じ明るさになっていますので、街の明かりや夜空の星の光が、同じ空間にあるようにも感

 じます。このまま、しばらく電気をつけないでいるのもいいかもしれません。

                                      句集『家族』より。



 №22   彗星にふるさとのあり芋の露       大河原 真青(1950年~)


  
秋になり冷え込むようになると大気中の水分が凝縮し、木や草の表面で露の雫(しずく)とな

 ります。芋の露と取り合わされるのは、宇宙をゆく彗星(すいせい)です。楕円(だえん)軌道を

 描き太陽系を周回するものが知られますが、その途方もない旅もどこかで生まれて始まったの

 です。彗星の故郷は遠く何万光年先でしょうか、移動を続ける長い年月にも思いをはせていま

 す。一方、芋の葉があるのは私たちの故郷、露は儚(はかな)いものの例えにも使われます。

 彗星の長い命と対照的です。                   句集『無音の火』より。



 №21   コスモスは尋常一様には揺れぬ      我妻 民雄(1942年~)


  
空き地や庭でたくさんのコスモスが気持ちよさそうに揺れています。同じ風に吹かれています

 が、その揺れ方はさまざまです。大きく傾くもの、少し遅れて戻るもの、花の重さや茎の形で動

 き方は変わり、それぞれに別の美しさがあります。その姿が通常であり、世の常であることをこ

 の句では指し示しています。考えてみれば同じ姿に作られ、一律の動きを求められるものは、

 みな人が関わっているものです。自然界に一様のものは何一つありません。

                                      句集『現在』より。



 №20   秋山河われもはびこるもののうち      仲 寒蝉(1957年~)


  
秋山河は大きな風景です。赤、黄、常緑の入り交じる紅葉山、流れ出る河。写真に収まらな

 い、生き物の暮らしを内包するような広さがあります。はびこるとは草木などが伸び広がり、栄

 えていくという意味です。秋山河の豊かさの中に自分も存在し、同じように成長し満ちていくとい

 う新鮮な発見があります。一方で、はびこるという言葉には侵略などのマイナスの印象も感じま

 す。自然に害なす人間の一人、という自覚も含まれているのかもしれません。

                                      句集『海市郵便』より。



 №19   鰡飛んで一瞬恋になる揺らぎ     なつ はづき(1968年~)


  
鰡(ぼら)は出世魚として有名ですが、よく跳ねる魚としても知られます。そして、恋と気付く瞬

 間の気持ちの揺れ。鰡と恋心の二つが重なる時、似ている部分はどこでしょう。勢いよく飛び

 出す感じ、一瞬身をよじり揺らぐ様子、そして今を生きる懸命な力。この揺らぎは、鰡に見つけ

 たものか、恋をする自分の中にあったものか、分けて書かれてはいません。それらは詩の力に

 よって結び付けられ、題材がかけ離れるほど、クローズアップされ際立っていきます。

                                      句集『ぴったりの箱』より。




   ≪八月≫



 №18   秋の暮左右の靴の音違ふ      村上髀彦(1979年~)


  
秋の夕暮を歩いていると、自分の靴の音が左右で違うことに気が付きました。靴底に小石が

 挟まったのかも、底がすり減り、素材の固い音がしているのかもしれません。秋は聴覚が鋭く

 なるのでしょうか。季語の一つに「秋声」という言葉があります。秋が声を出すわけではありま

 せん。虫の音や寂しい風の音、どこからともなく聞こえる落ち葉の音、すべてを含んだ秋の気

 配を指します。その感覚は自分の発する靴音にも及んでいきます。

                                      句集『遅日の岸』より。



 №17   萩の記憶鮮明にして食ひ違ふ      小林 貴子(1959年~)


  
風に揺れながら垂れ下がる枝の、細やかな葉の間に、萩は小さな赤紫の花を咲かせます。

 萩の記憶とはいったいどんな記憶でしょうか。花の前で話をしたのかも、素敵な出会いがあっ

 たのかもしれません。その記憶は細部まで鮮やかに思い出すことができますが、相手側の記

 憶や事実とは何かがずれていました。矛盾した二つのことが、けれどどちらも正しいということ

 はままあります。その違和感が萩とともに言葉に縫い止められています。

                                      句集『北斗七星』より。



 №16   教室は波の明るさ鰯雲         今井 聖(1950年~)


  
波が放つ光は、ちらちらと移ろいゆくものです。ある部分は少し陰り、ある部分は透き通り、

 漂うようにその濃淡を変えていきます。無機質な教室の中の明るさは、そのように部分部分で

 変わるわけではありません。しかし作者の感性は、学生たちのさざめきや躍動をひらめくような

 光として捉えたのでしょう。実際にはない映像を私たちは受け取り、豊かにイメージすることが

 できます。空には大海を泳ぐような鰯(いわし)雲がたなびいています。

                                      句集『谷間の家具』より。



 №15   露まみれ鎖の切れしふらここも        中嶋 鬼谷(1939年~)


  
「ふらここ」はブランコの別名です。片方の鎖が切れて、座面がだらんと下がる様子が想像で

 きます。当然乗ることはできませんし、分厚い鎖をすぐに直すこともできません。危険なため立

 ち入り禁止のテープが貼られたかもしれません。いつも身近だった存在が、ふとしたきっかけ

 で触れられない存在へと変わってしまいます。壊れたブランコの表面はびっしりと秋の露に覆

 われています。そして辺りももの悲しいような露が一面に落ちているのです。

                                       句集『無著』より。



 №14   きのふより遠くを踏めば秋の風        南 うみを(1951年~)


  
秋がいつから始まるのか暦のうえでは決まっていますが、実際の変化はとても緩やかです。

 暑さの残る中、風の中に少しずつ涼しさを感じるようになってきました。「きのうより遠く」という

 のは、物理的距離かも、心理的距離かもしれません。なにかの記録を伸ばしたのでしょうか、

 昨日の自分と比べて成長したと感じたのでしょうか。いつもは気にしない小さな変化をふと捉え

 たとき、そこに爽やかな風が吹き渡っていくのを感じます。    句集『志楽』より。



 №13   頭の中の闇はそのまま髪洗う        出口 善子(1939年~)


  
汗をかきやすい夏は、さっぱりするためにシャワーを浴びたくなります。砂埃がつき、汗で蒸

 れた髪はなおさら洗い流したいですね。「髪洗う」という季語は、シャワーやユニットバスなどな

 い頃からの生活の言葉ですので、ニュアンスは現代とはずれつつありますが、爽やかさを求め

 る心は変わりません。目をつむり、髪を水で流しますが、その頭の中の闇が晴れることはあり

 ません。もやもやとした心とは裏腹に、素肌を清涼感が流れていきます。

                                         句集『羽化』より。



 №12   そのまはりかすかな水輪蟇        対中 いずみ(1956年~)


  
「その」という指示語で句が始まり、私たちはそれが何なのかわからないまま句を読み進めま

 す。気付かないほどの水の波がそれを中心に静かに広がっていき、最後にどっしりとした蟇

 (ひきがえる)が現れます。蟇は大柄な蛙で、姿もゴツゴツとして存在感がありますが、田んぼ

 や池の隅でじっとしているとなかなか気付かないものです。その静かな存在感が、ほのかな波

 の表現によって描かれています。蟇の不気味さと水の静かさが、魅力的に対比されています。

                                        句集『水瓶』より。



 №11   端居して一番遠い爪を切る         長峰 竹芳(1929年~)


  
夏も夕方になればいくぶん暑さがやわらぎます。少しの風でも、縁側や庭に出ると気持ちが

 いいですね。端居とは、家の端、つまり窓辺の近くや縁側で涼むことを指します。外から見える

 かもしれないけれど、端居の姿はのんびり家でくつろぐ姿。この句では爪を切っているようです

 が、一番遠い爪とは足の小指の爪でしょうか。あえてどの指と言わないことで、爪を切ろうと懸

 命にかがむ姿や自分の体の中の距離感が新鮮に読者に伝わります。

                                        句集『直線』より。



 №10   夕立の前のしづかさかと思ふ        杉田 菜穂(1980年~)


  
夏の暑さは、大きな積乱雲を生み出し、夕方の同じような時間に雨を降らせます。いつもなら

 そろそろ降るはずですが、まだ雨は降ってきていません。嵐の前の静けさというと慣用句的で

 すが、夕立の前の静かさは具体的な情景を想像できます。肌にまとわりつく湿気や、日の傾い

 た街の様子、なんとなく言葉の少なくなる人々。この静かな不思議な時間はいつまで続くのでし

 ょうか。やがて期待どおりの激しい雨がわれわれに降り注いできます。

                                        句集『夏帽子』より。




   ≪七月≫


 №9   歓声の聞こえる夜の冷蔵庫        上森 敦代(1958年~)


  冷たい飲み物や生ものの保存など、夏は冷蔵庫がより重宝されます。夕食の準備中や食事

 中はよく扉が開閉されますが、食後は静かにうなるばかり。そんな冷蔵庫に届く賑(にぎ)やか

 な声とは、居間の団欒(だんらん)やナイターなどのテレビの中の声でしょうか。同じ空間にあり

 ながら、楽しげな家族とは別の世界に、冷蔵庫はひっそり立っています。心を持たない冷蔵庫

 がそっと人間生活に聞き耳を立てているような、そんな不思議な感じが伝わってきます。

                                         句集『はじまり』より。



 №8   草笛のいつより濡れてゐし指か      安里 琉太(1994年~)


  草の葉を口につけ強く息を吹き当てると、ある角度、ある力加減で素朴な音が鳴り響きます。

 草笛はコツをつかめば音が出ますが、その加減を見つけるまでが少し大変です。この人も懸

 命に吹いていたのでしょう。いつからか指が湿っていました。唾液でしょうか、もしかしたら笛に

 していた葉自体の水分かもしれません。夢中になって遊び、ふと我に返る瞬間があります。そ

 れまでの自分は、草笛と一体であったようにしみじみ思うのです。  句集『式日』より。



 №7   夏帽が見え逞しき顔が見え       佐藤 海(1959年~)


  夏帽はつばの広い麦藁(むぎわら)でしょう。まず帽子、次に日焼けした逞(たくま)しい顔見え

 ます。白い歯も覗(のぞ)いたかもしれません。炎天下の作業中でしょうか、きっとこちらの声掛

 けに振り向いたのでしょう。帽子と顔、それだけ見えたとしか語られていませんが、動画のワン

 シーンのように映像を思い浮かべることができます。最後の「見え」に続くのは何でしょうか。夏

 帽の人の声でしょうか。背後の夏山でしょうか。それはあなたが決めていいのです。

                                         句集『瞳の色』より。



 №6   前任の残してゆきし蝿叩き      西山 ゆりこ(1977年~)


  部署異動があったのでしょう。引き継いだ机や書類の他に、前任者は蝿叩(はえたた)きまで

 残していったのです。私物か備品かも微妙なところですし、衛生面がちょっぴり気になりますが

 アットホームな職場の雰囲気がにじみ出ています。日常の小さな出合いがユーモラスに切り取

 られた一句です。蝿の最も活発な季節は夏、蝿叩きもこれから活躍します。引き継いだ蝿叩き

 を振るいながら、日々の仕事もしっかりとこなしていくのでしょう。

                                  句集『ゴールデンウィーク』より。



 №5   飼へぬかもしれぬ金魚を掬ひけり     鶴岡 加苗(1974年~)


  金魚掬(すく)いの屋台には、1畳ほどの小さなプールが置かれ、小さな金魚があちらこちら

 へ泳いでいます。その中の1匹をなんとか掬うことができましたが、帰る家には金魚鉢も水槽も

 なく、家族が飼うことを承諾してくれるかも分かりません。はたして私は、この命に責任を持って

 向き合えるのでしょうか。そんなためらいが感じられます。楽しい夏祭りでの小さな背徳感とも

 言えるでしょう。切れ字「けり」にその微妙な気持ちが託されています。

                                        句集『青鳥』より。



 №4
   耳飾り花火は遠くまたたけり       細谷 喨々(1948年~)


  耳飾りという映像がまず飛び込んできます。その後には遠くで開いて散る花火。その遠近感

 を楽しむ一句です。近くの花火大会にやってきたのでしょうか。耳飾りは一緒に来た人かも、た

 またま隣り合った人かもしれません。花火へ向ける目線の途中に、大きく揺れる耳飾りがあり

 ます。それは息が触れるほど近くの美しさであり、その対比もあって夜空の花火がより遠く美し

 く感じられます。大きく広がる夏の夜空、あなたのそばには誰がいますか。

                                          句集『二日』より。



 №3   夏芝の針の光や休館日         津川 絵理子(1968年~)


  休館日は博物館や美術館でしょうか。敷地に併設された芝生では来館者がのんびりと憩い

 ます。しかし、芝生も本日はお休み。立ち入りもできず、遠巻きに見るだけかもしれません。そ

 の芝の葉先は針のようで、陽(ひ)を受けて光り輝いています。芝は人のために整備され、よく

 よく鑑賞されることもありません。しかし、いつもと違った人間のいない環境で踏まれることのな

 い夏芝がぎらぎらと光っているのです。それは夏芝の生命感でしょう。

                                        句集『夜の水平線』より。



 №2   ふと言ひよどむ空蝉の数へ方     河内 静魚(1950年~)


  夜中ひそやかに羽化を済ませた蝉(せみ)は、太陽の下に精緻な抜け殻を残していきます。

 場所によっては、木々に鳴く声に合わせて無数の蝉の殻が周りにあることに気付きます。さて

 あなたはそれをなんと数えるでしょうか。もはや生きていない物体として1個と数えるのか、生

 き物として1匹と数えるのか。中身なく動かない殻なのに、まだ生きているように感じる、その

 かすかなおののき。それが作者を言いよどませたのではないでしょうか。

                                         句集『夏風』より。



 №1   山脈の一か所蹴つて夏の川     正木 ゆう子(1952年~)


  緑の山々は連なり、青空を背景にして、くっきりとした稜線(りょうせん)を浮かび上がらせて

 います。そのでこぼことした1カ所が崩れたように大きくへこみ、そこから勢いよく夏の川が流

 れていきます。山からほとばしる川は、勢いを持った澄んだ流れを想像させて爽快です。山を

 蹴破って川になった、湖ができたという神話は日本各地に見られます。遠景でありながら、夏

 の鮮烈な生命感を感じさせる一句です。               句集『静かな水』より。