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2021/1 №428 小熊座の好句 高野ムツオ
後の世も防護服着て冬木立 郡山やゑ子
木の皮を樹皮というが、動物の皮と同じように見えながら、その構造はまるで異な
るようだ。動物の場合は器官のひとつで体を覆い、代謝を助けたり感覚器ともなった
りする生きて働く細胞組織である。これに対し樹皮は死んだ細胞の集まりで、やがて
は少しずつ剝がれ落ちる。動物の皮膚と同じく内部を守るという役割は十分担ってい
るが、それは自らが作り上げた服や衣装とも言うべきものであって、体の一部ではな
い。それを踏まえて、ここでは防護服と表現した。防護服はかつては災害や危険から
身を守るため着服する衣服一般を指したが、近年はウイルスや放射性物質が付着し
たり体内に入ったりすることを防ぐための衣服を指すようになった。太陽や雨は吸い
込むが放射性物質は入り込まない防護服。自然がなせる技である。十年前の原発
事故の災禍を経験しながら人間は新たな原子炉作りにせいを出している。同時に避
難計画作りにやっきになっている。自ら生み出したもの、生みだそうとするものに怯え
ている。まさに人間らしい滑稽さと言えばいいのだろうか。自ら動くことのできない木
々は死ぬまで、いや死後も、自らの細胞を死装束として身につけながらただ黙って立
っている。
くしゃみして極悪非道人となる 水月 りの
二年前なら、なんと大げさな句と一笑にふされていただけであったかもしれない。し
かし、コロナウイルス禍の今読めば実にリアリティをもって迫ってくる句となった。人混
みや密室でくしゃみをするならマスクをしていても痛いほどの視線が刺さってくるが、
たまたまマスクを外していた時であったなら、ただ小さくなって、この世から逃散する
しか方法はなさそうである。コロナウイルスは人体を死の危険にさらすが、人間を人
間から遠ざける力も兼ね備えているようだ。ウイルスの力で本当に怖いのはこちらの
方だと感じるのは私だけだろうか。
蹌踉と落葉踏む音歌になる 山寺佐智子
「蹌踉」とはよろめくさまを表す言葉。元々は歩むという意味の他に舞うという意味も
あった。それを踏まえれば、この句は年老いて足弱となり、よろよろと歩くさまであり
ながら、同時に舞おうとする意志を重ねていると読むことができる。願望である。それ
ゆえ落葉を踏むと、その音が歌となっていつしか、心の中で落葉とともに踊り出す。
痩せ牛の眸くもるや神の旅 植木 國夫
痩せ牛は、一般的には一昔前の農耕用の牛を想像するのが自然だろう、そう鑑賞
しても間違いではない。飼われ人間に仕えるのみの牛の暗い眸が眼前に浮かぶ。作
者の住まいを念頭にすれば、福島の被曝の牛ということになろう。そう読むとき「神の
旅」という季語は、より深い意味を湛えるようになる。
冬麗ら遠嶺走り来るごとし 土見敬志郎
寒月光埋められし瓦礫軋む音 春日 石疼
サルビアの死化粧として霜被る 岡村 直子
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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