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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (124)      2021.vol.37 no.428



         いつ舌を出すのか蜥蜴緑なす         鬼房

                                   『幻 夢』(平成十六年刊)


  どこで切って読むのだろう。「いつ舌を出すのか蜥蜴/緑なす」とも「いつ舌を出すのか

 /蜥蜴緑なす」とも読めそうだ。それゆえ木や草が茂った様子を示す「緑なす」の主体が

 はっきりしない。前者ならば「緑なす」主体は省略された書かれざる何ものかになるが、そ

 れでは「なす」の実体が生まれない。また後者なら「緑なす」の主体を「蜥蜴」として読める

 が、軽い虚無感を持つ「いつ舌を出すのか」という問いは対象がないことで緊張感を失っ

 てしまう。

  ならば一句への扉は、ふた通りの読みを重ね描きすることで開かれるのかもしれない。

 句に現れる「蜥蜴」は一語だが詩の言葉として二つの機能を持っている。「いつ舌を出す

 のか」という問いの対象であると同時に、「緑なす」主体となるのだ。「緑」のつややかな生

 命力を小さな体にたたえた「蜥蜴」は、「なす」の一語により生物としてのサイズをも変容さ

 せ、その周囲の空間だけではなく「緑なす山並み」のような広い空間を作り出す。「いつ」の

 時間性と「緑なす」の空間性が一句のなかで変容する。

  佐藤鬼房の蜥蜴には「青蜥蜴不意の渇きは消しがたし」もある。「不意の渇きは消しが

 たし」の希求と断念にみずみずしさと躍動感をもたらす「青蜥蜴」である。掲句と共に鬼房

 の「蜥蜴」は身体を通して存在へと錘を垂らすために光沢を放つ鋭敏な装置といえるだろ

 う。

                              (水野真由美「海原」「鬣TATEGAMI」)



  この句が載った第十四句集「幻夢」は平成13年から平成14年1月19日の死去までの

 約八、九ヶ月の作品を収録している。発行日は鬼房三回忌の日であった。この句集の「羽

 蟻抄」に「羽蟻の夜真の土着を考へる」などと列挙してある。この蜥蜴が舌を出すというの

 は見ている作者を嘲弄するように舌を出したのではないようだ。蜥蜴の舌は周りの匂いを

 嗅ぎ分けて状況を把握するのに用いられている。また、この句では蜥蜴が緑なすとあるの

 で尻尾の青い若い蜥蜴のようだ。若者を蜥蜴になぞらえ、いつまでも世間の動きとは無関

 係に安穏に暮らしてないで現今の社会状況を、危機感を持って見てみろと叱責しているの

 ではないだろうか。虚子にも蜥蜴を詠んだ句がある。「我を見て舌をだしたる大蜥蜴」という

 のだが、こちらは「俳句は極楽の文学」と言っている人の作品らしく、ただそこにいる蜥蜴

 のあるがままの生態を述べているだけのようだ。俳人は社会と無縁の存在であっていい

 はずはないと思う。兜太は「社会性は作者の態度の問題である」と述べているが、鬼房は

 貧困な生活のなか、悲惨な戦争を体験し、幾多の病を抱えても、つねに弱者の立場を貫

 き、虐げられしものの側にあって社会を見つめつづけた。そして最晩年に到ってもなお、社

 会の矛盾に対して、つねに問題意識を持てと後世の我々を叱咤激励しているように思え

 てならない。

                                              (平山 北舟)