小 熊 座 2021/3   №430 小熊座の好句
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    2021/3   №430 小熊座の好句  高野ムツオ



    「苦海浄土」猫の寝息が炬燵より    丸山みづほ

  武良竜彦が本誌で石牟礼道子の俳句について連載している。私が石牟礼道子の

 名を初めて知ったのは20歳前、まだその文学的価値が広く認知されていない頃だ。

 武良竜彦に教えて貰った。連載にある通り、竜彦は水俣生まれで、幼い頃から石牟

 礼道子の世界を身近にしてきた。記憶したのは名だけで、その文学に接したのは、

 つい最近と言っていい。恥ずかしいことだ。しかも読み始めた『苦海浄土』の世界は

 重い。重すぎるのだ。私の貧弱な想像力などなかなか着いていけない。それは水俣

 病で苦しむ被害者一人一人の描写はむろんのこと、もがき狂う猫の様子にさえあて

 はまる。自分のこれまでの体験や知識に基づく想像力を駆使し、なんとかその世界を

 共有しようと努めるのだが、おそらく、表現されている深刻な現場の表層をなぞってい

 るだけに過ぎないのである。読み手の世界の貧相さが浮き彫りとなるのだ。読者とし

 て失格だということなのだ。この句の作者にも、それに似た思いが過ぎったのではな

 いか。安らかに傍で寝息を立てている猫の姿がそう感じさせる。しかし、一歩でも『苦

 海浄土』の世界に近づくべくページを繰り続けている。

    初蝶は出雲阿国かもしれず       沢木 美子

  出雲阿国は出雲神社の巫女であったというのが通説である。出雲大社の勧進のた

 め諸国を巡った際、男装した阿国と女装した夫とが濃密に戯れ踊るエロテックな倒錯

 性が評判になったと伝わる。いわゆる、かぶき踊りである。こうした異性装での踊り

 は、他にも宗教行事として各地に残っている。神おろしの一形態であろう。

  ここで踊っているのは、その阿国の化身の初蝶。初蝶といえば紋白蝶だが、成虫に

 なった時からすぐさま生殖活動が始まる。だから、雌雄の蝶がもつれ飛ぶさまを想起

 したい。菜の花畑という神域を舞っているのである。ちなみに作者は広瀬惟然の研究

 家で『風羅念仏にさすらう』などの著書があり、惟然が芭蕉の発句を和讃に仕立てた

 「風羅念仏」の復元継承者である。念仏踊りとかぶき踊りにも深い繋がりがあるとの

 こと。氏の惟然に関する文章は「小熊座」にも連載して貰ったことがあるが、読むこと

 ができなかった新しい誌友のために改めて一言紹介した。

    氷柱太る爺さま婆さまの眠る頃     中鉢 陽子

  土俗メルヘンであるが、高齢化と過疎化の現今を踏まえるなら、この氷柱は老夫婦

 の孤立感にも重なる。しかし、温もりも十分こもっている。

    あらたまの息を吸うても一人なり     日下 節子

  孤影の深まりはむしろこちらの方に色濃いか。初春のめでたさゆえに、それは倍加

 されている。

    雪霏霏と老人ホーム寿げり        浪山 克彦

  これも老齢化を反映した句。「寿げり」と述べながらも、複雑に屈折した心境が伝わ

 る。三作品いずれも新型コロナウイルス禍であって、より深く考えさせられる





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