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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (126) 2021.vol.37 no.430
大寒のすだま寄り添ふ寝入り端 鬼房
『愛痛きまで』(平成十三年刊)
「すだま」とは「魑魅」と記し、山林の瘴気から生じる妖怪を意味するという。このような得
体の知れない〈異界〉の物の怪が「寄り添ふ」のだから、ここで寄り添われている主体は今
まさに〈異界〉の側にいると言えるだろう。
ここで「いる」という語を使ったが、実はその語は相応しくない。なぜなら、この〈異界〉とは
「いる/いない」という存在論的な言葉ではとらえられない、日常とは異なる位相だからで
ある。
「寝入り端」とは、そのような〈異界〉へと通じる、夢とも現ともつかぬ時空である。その時
空において日常の〈存在者〉である主体は〈存在〉のみを引きはがされ、命の蠢きの中へと
絡めとられるのだ。
ここで「命の蠢き」と呼ぶものは、生命が太陽の熱量から生じるのとは対照的に、冷たい
暗闇で無へと回帰しつつ、死してなお蠕動し続けるような、命のもう一つの在りようとも言
える。
「大寒」という一年で最も寒さの厳しい季節において、己もまた「すだま」と同様の得体の
知れないかたまりとしての〈存在者〉であることを作者は深く感じ取っている。上五が大寒
「や」ではなく「の」とされたことで、この得体の知れない命の──あるいは精神の──営み
を、冷たい漆黒の槍が貫くようでもあり、静かな痛みを感じさせる。
(田島 健一「炎環」「豆の木」「オルガン」)
掲句は平成10年、鬼房79歳の作である。東北の大寒の時期は、一層過酷を極め、感
性や感覚が最も鋭敏になる時期である。すだまは、山林、木石の精気から生ずる人面鬼
神の怪物と言われる。そのすだまを寝入り端に寄り添ってくるのが見えたのである。鬼房
独自の風土性がにじみでている作品である。また、健康に恵まれず、療養生活から見えて
くる入眠時心像を冷静に受け止めた作品ともいえる。
佐藤鬼房俳句集成第一巻全句集には、上五に「大寒の」の措辞を置く作品が十三句掲
載されている。時系列で数句を抄出して読むと、揺るぎない精神風土を読み取ることがで
きる。
大寒の鶏骨の数多が頭を掠め (昭和三十八年)
大寒の懸垂骨を励まして (昭和五十一年)
大寒の白鎮まれる休み窯 (昭和五十三年)
大寒の孤島をなせる病個室 (昭和五十八年)
大寒の餓鬼のやうなる細喉 (平成五年)
鬼房は社会性をモチーフとしながら東北に根ざした風土性の濃い俳人と言われてきた。
掲句が収められている第十三句集「愛痛きまで」は、鬼房が亡くなる前年の平成13年に
刊行され、老病死を見つめた作品が多い。掲句から自分の死をしっかり見つめていること
が読み取れる。
鬼房の精神風土と作風は最晩年まで深化している。
(小野 豊)
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