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 小熊座・月刊


   2021 VOL.37  NO.431   俳句時評



            震災後十年に想う

                           渡 辺 誠一郎



  東日本大震災から早いもので十年が経った。変わったもの、変らぬものが数多くある。

  火山列島であり、地震列島であるこの国に住んでいる限りは、再び襲ってくる災禍を覚悟

 する他ない。首都直下型の大地震をはじめ、南海トラフ巨大地震は明日にでも起きるとす

 る専門家の警告も止むことはない。この自然の動きを前に、われわれを取り巻く状況は、

 日に日に厳しくなってきているような気にしてならない。地震の他にも、台風や大雨、洪水

 など、さらには地球温暖化による影響なども無視できない。自然のみならず、人為による

 戦争などのことを考えると心配は際限がない。

  3月11日には、多くのテレビや新聞で、大震災の特集を組んだ。震災十年というが、強

 い余震は止むことはない。人口減少が止まらない中で、被災地の復興は必ずしも明るくは

 ない。特に、福島第一原子力発電所の事故の収束の見通しもつかず、避難者は3万5千

 人を超える。なかでも炉心溶解した原発を処理し、完全に元の状態にするには、冷静に考

 えても百年はかかるだろう。

  一方俳句の世界では、震災直後の被災の惨状を直接詠んだものは減り、その内容も変

 ってきている。

  『俳壇』の三月号では「俳人たちの3・11―東日本大震災から十年」の特集を組んだ。ここ

 で宮坂静生が、「書くことは問われること―東日本大震災詠十年」として巻頭総論を寄せて

 いる。「今日、問われるのはことばそのものが表現者の生き方にどれだけ肉迫し、ことばに

 よって表現者は変ったかという生存そのものへの問いである。」とし、「東日本大震災後十

 年の経過は俳人にことばの本質を問い詰めている。」と述べる。

  生き方にどれだけ肉迫するかは、それぞれの俳人によって異なるものだ。表現者として

 変わることも変らぬことも個々人は違っている。全ての俳人、被災地の俳人が、必ずしも震

 災を詠まなければならないことではない。詠まないのも表現の一つである。ただ言えること

 は、特に被災地の俳人に対し、必要以上に「枷」のような態度を求めるものではないという

 ことだ。

  同じ特集の中で、高野ムツオが、震災詠というものはなく、「自らがいきてある、その場そ

 の刹那の感動を十七音に刻むこと」、そして「今という時空自体を永遠化すること」の大切

 さを述べている。しかしもちろん、俳人一人一人の受けとめ、表現の仕方によって違ってく

 る。

  同じ様に、『現代詩手帖』の三月号では、「詩と災害 記憶、記録、想起」の特集を組んで

 いる。

  震災を詠んだ自由詩十篇、短歌五十首、俳句五十句のアンソロジーを掲載している。さ

 らにそれぞれ選をした俳人関悦史、歌人斉藤齋藤、詩人山田亮太が討議を行っている。

 俳句のみに限定することなく、短歌、詩を含めて改めて震災と表現の問題を、はば広く考

 えるいい企画であった。俳句、短歌、詩それぞれの分野に限ると、どうしても窮屈な論議に

 なりがちだ。特に震災のようなシリアスなテーマならなおさらである。討議は、「事後と到来

 のただなかで」をテーマに、震災十年を経た、俳句、短歌、詩それぞれの視線から、震災

 にとの関わり、距離の取りようなど、多岐にわたって論議している。それぞれが表現者とし

 ての立場にあり、震災に向き合い方も異なる。議論の中では、震災に対する気持ちの逡巡

 ぶりが率直に吐露され、冷静に、そして丁寧に論議を交わされ、読み応えがあった。

  このなかで山田が、十年たったからといって、安易な総括には抗するとした言葉には、強

 く共感を覚えた。いくつかの論点が出されているが、そのほんの一部だけ紹介する。

  俳句で言えば、関は、高野ムツオの〈車にも仰臥という死春の月〉を例に、俳句は季語―

 ここでは〈春の月〉を抱え込んでいるゆえに、「深刻な題材を深刻なまま作品に入れにくい

 詩型だ」と述べ、過酷な現実が季語に、「救われ」ているのではないかと指摘している。私

 の住む港町でも、押し寄せた津波によって、多くの車の横転や電柱にあたかも登って逃れ

 るような車の姿を目の当たりにした。私は、何より車の中の死者を思い浮かべでしまう。同

 じように、釜石で被災した照井翠の〈双子なら同じ死顔桃の花〉の〈桃の花〉も同じことが言

 える。私には同じであるはずのない双子の死顔は、厳し過ぎる。〈桃の花〉に救われるのは

 双子ではなく俳句なのかもしれない。季語は諸刃の刃の様に、厄介なのだ。

  歌人の斉藤は、「生々しいものを、震災でダメージを受けていない人は、記憶しなくてい

 いんじゃないか。もし記憶や記録を残す意味があるとすれば、未来の震災でダメージを受

 けた人が、過去の同じような震災に遭った人がどのように立ち直ったり立ち直れなかった

 りしたかを知ることで、少しは気が楽になるぐらいではないか。震災を忘れないとかよく言

 いますが、忘れられる人は忘れていいのでは」と震災を、もう一つ違う時空において捉えよ

 うとしていることに目が止まった。

  私が震災から学んだことといえば、生きること、あるいは俳句、表現とは何であるのかと

 いうことを考える貴重な機会になったことだ。しかし、震災の俳句を積極的に詠んで来たわ

 けではないし、後世の人に記録、記憶のように伝えたいと思ったわけでもない。ただ俳句

 の形をとって、言葉が口から零れたようなものが残っただけだ。そして改めて気がついた

 のは、常に足下にこそ地獄があり、極楽が隠れていることである。死と生は背中合わせで

 あり、その境界も極めてあいまいなことだ。われわれは常に死者とともにある。それゆえあ

 の災禍を、自らの内面に、自らの仕方で、落とし込むことこそが最も大切であると気づかさ

 れた。その定まらない気持ちを引きずって震災後、須賀川、いわき、釜石、八戸などの被

 災地も含めて、みちのくに足を運んだ。そしてその地の歴史文化の古層まで辿り、もう一度

 現実に向き合い、記憶の内面化を図りたいと思った。それは『俳句旅枕 みちの奧へ』にま

 とめたのだが、十分ではない。今も十年過ぎて未整理のまま、混迷のなかにある。震災の

 記憶は私の中で今も消えない。

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