小 熊 座 2021/4   №431 小熊座の好句
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    2021/4   №431 小熊座の好句  高野ムツオ



    死化粧の妻の可愛や雪こんこん      野田青玲子

  野田青玲子は小熊座古参の一人、昭和4年生まれ、「駒草」などに投句を始めた

 のが昭和20年とのことなので、戦後の歴史がそのまま俳歴ということになる。小熊

 座には創刊当時から投句を始め、同人制の導入とともに同人に推挙されている。

  これまでも氏の俳句にはあけすけな愛妻俳句が多かった。手元に「滝」発行所編

 「みやぎ・俳人の歩んだ道」がある。これは平成19年発行で、平成9年から平成18

 年までに当時の県内ベテラン俳人にそれぞれの俳句の歩みをインタービューしてま

 とめた一冊だが、中に氏が話し手の一人として登場した際の自選十五句があって、

 そこにも〈虎落笛来世も妻と此の家に〉という手放しの愛妻句がある。

  掲句は、その長年連れ添った妻の死に際してのもの。昨年の十月号に同様の発想

 の〈夏帽子の妻の可愛や来世でも〉が載っているが、同じ「可愛や」でも死別にあって

 発せられるこの一言には言い尽くせない重みがある。死化粧の白や降りしきる雪の

 白さが、契りを交わした夜の白無垢と重なる。俳句はこうした直情的な表現に適さな

 い形式とするのが一般的だが、そうした常識的先入観など一顧だにしない熱情の裏

 打ちが読み手の心を打つ。長年、繰り返し詠い継いできたがゆえに達した言葉の世

 界といえようか。

    涅槃会や幹を伝はる雨のすぢ        津髙里永子

  涅槃会は釈迦入滅の忌日に行われる法会である。寺では宗派にもよるが、さまざ

 まな法要が執り行われる。これに誕生会と成道会を加えて三仏会ともいう。盆暮を含

 め一般慣例の墓参すらおろそかにしている不信心な私には、こうした句を鑑賞する

 資格は本来はないのだろう。だが、この句の「雨のすぢ」の妙なリアリティはいつまで

 も心に残る。但し、涅槃図の中に集い嘆く万物の涙と不用意に重ね合わせない方が

 いい。ひたすら木を濡らす現実の雨筋をのみ想像したい。

    人間の世は蛤の大あくび        千倉 由穂

  蛤の句というよりも蜃気楼の句と解すべきだろう。「字通」によれば蛤は蜃に属する

 とある。蛤と蜃は同義なのである。「和漢三才図会」には竜類に蜃の項目がある。蜃

 は蛟の属、つまり竜の一種で「よく気を吐いて、楼台城郭のさまを描き出す」と解説が

 ついている。つまり、蛤が吐いた気によってできた建物が蜃気楼なのだ。それを踏ま

 えれば、この句は、人間の世などたかが蛤の大あくびでできたはかない代物だという

 悪意と虚無に満ちたユーモアから生まれていることに気づく。蜃気楼は大気の異常

 屈折よってできる虚像だが、人間はその虚像の中に生きているに過ぎない。

    微動だにせぬ寒卵割りて呑む        小田島 渚

  俳句の言葉の不思議さはここにも躍如している。寒卵が微動だにしないのは当然

 のことだが、こうダメを押されると動き出す手前の物体のように感じられる。割って呑

 んだ後は腹中でも動いている不穏に満ちている





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