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2021/5 №432 小熊座の好句 高野ムツオ
春愁のわが抜け殻の歩きけり 郡山やゑ子
魂こそ人間の本体であるという前提に立てば、「わが抜け殻」はそのまま肉体、現し
身を指すことになる。すると、作者は幽体離脱をして自分自身を眺めていることにな
る。和泉式部の〈物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる〉が想
起されるが、「抜け殻」という怪異がもたらす諧謔味は格別である。
「春愁」という言葉自体は平安末期の漢詩にも用いられているようだが、季語として
愛用されるようになったのは大正末期あたりかららしい。山本健吉の『基本季語五○
○選』によれば、「その後、春怨・春恨・春意などの春の情緒を言い取った主観的な
季語が作られて行く先蹤」となった。春のなんとない物憂さの意だが、根底には男女
の恋情、それも女性の恨み心がある。この句も、その情趣を踏まえることによって魅
力が倍増する。
木歩句集燈下を歩く冬の蜘蛛 春日 石疼
この句の鑑賞を書くのを機会に再読しようと愛蔵していた『富田木歩全集』を探した
が、どこへ仕舞ったか見つからない。まずは地震のせいにするわけだが、実際は整
理もしない本の山、それも何度も崩れては重ね、崩れた山のどこかに隠れてしまった
というのが事実である。木歩は二歳で高熱のせいで両足が麻痺してしまった。小学
校にも通えなかったが、いろはがるたやめんこで文字を覚えたという。俳句は徒弟奉
公時代に手を染めた。身の不自由に加え、貧困、病臥と闘い、才能を開花させたが
関東大震災の火事で焼死した。二十七歳であった。代表作に(我が肩に蜘蛛の糸張
る秋の暮)があると紹介すれば、もう鑑賞などする必要はないだろう。
まだ残る枯るる力や破蓮 丸山千代子
老年期の生のあり方を「衰退のエネルギー」と名付けたのは永田耕衣である。現実
的には、老いることはエネルギー自体の減少を指すわけだが、そこに至るにまた別
のエネルギーが生じるということだ。この句は、そうした力が人間だけではなく植物に
存在すると、暗に主張している。いや再生の象徴でもある蓮のその枯れざまこそ人
間以上の力を秘めている。そうこの句は主張している。
大陸の漂移のつづく猫の恋 大河原真青
大陸漂移は大陸移動のことだが、漂移という言葉が、地球の表面が十数枚の岩盤
つまりプレートの変動によって動く大陸や日本のような島をイメージ化させる。その変
動で地震が起きる。生き物の営みはまさにその上にある。
浅蜊砂吐く無音なる音の満ち 関根 かな
ボウルの中の浅蜊。確かに砂を吐く音など誰も聞いたことがない。だが、こう表現さ
れると音が聞こえてくる。これもまた命の音である。
山火事の火の粉が過疎をあぶり出す 須﨑 敏之
開拓農の光源として木の芽山 平山 北舟
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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