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 小熊座・月刊


   2021 VOL.37  NO.433   俳句時評



            これからの東日本大震災表象

                           樫 本 由 貴



  これまでの時評では原爆俳句集『長崎』(1955・句集長崎刊行委員会)を取り上げ、被

 爆から10年後の長崎表象について考察してきた。表象された物事を語ることは、表象され

 ない物事を不可視化させることでもある。

  それを想像するのに、堀切克洋が運営する俳句ウェブサイト「セクト・ポクリット」掲載の

 小田島渚による特別寄稿「十年目に震災句について考える」(3月11日更新)の冒頭は重

 要である。「(筆者注:東日本大震災当時の)個人的体験のほとんどをいまだ書く気になれ

 ない」。語らない/語れない人や物事の存在は、原爆表象でも意識されてきた(山代巴編

 『この世界の片隅で』岩波書店(1965)など)。同サイトでは月一回更新で一年間の長期

 連載となる加島正浩「震災俳句を読み直す」も始まった。

  東日本大震災表象は、そうであることだけで尊いのではない。見えなかったものを見える

 ようにし、多くの人間の想像力の及ばなかったところを拓いたかどうかが再検討される時

 期に来ている。

  「樹氷」同人の工藤玲音がくどうれいん名義で『群像』四月号に発表した作品「氷柱の声」

 では、東日本大震災と表現に向き合い続ける作者ならではの問題が提出された。以下は

 語り手「伊智花」の高校時代のエピソードの概略である。

  美術部の伊智花は同学年の中でも実力者だと自負していたが、2011年の東日本大震

 災後に開催された高校生活最後の絵画コンクールで提出した不動の滝の絵は最優秀賞

 を獲得できなかった。最優秀賞は普段テニス部に所属する女子生徒が描いた、瓦礫の下

 で双葉が朝露を湛えて芽吹くという「あまりにも作為的で、写実的とは言いにくいモチーフ」

 の絵だった。彼女の受賞スピーチや審査員の評を聞きながら、伊智花は審査されたのは

 作品ではなく作者に付属する物語だったのだとうすら寒く感じた。

  この後、伊智花は大学の教育学部に進むものの教職にはつかず、盛岡の印刷会社に就

 職した。会社が作成するフリーペーパーの表紙の絵を描いた伊智花は、同僚が伊智花の

 絵そのものを評価してくれたことに「ずっとそんな風に言ってほしかったんです」と涙する。

  くどうは、学校の枠組における生徒の創作やその評価が社会的な文脈に引きずられると

 いう問題を提出している。

  その点、伊智花は本人が自覚しないだけでかなり周到に守られている。美術部の顧問は

 伊智花に震災復興の応援の意味を込めた作品集の絵を描くよう勧めたとき「懇願のような

 謝罪のような何とも複雑な」表情を見せる。結局伊智花は絵を描いたが、絵を見た顧問は

 (数年後に彼女の絵を褒めた同僚と同じように)絵そのものの技術を褒めた。

  伊智花はコンクールでの受賞の代わりに、ずっと作品そのものを見てくれる人間に必要

 な言葉をかけられ、震災を消費する外部から守られていた。伊智花が大人になっても絵を

 辞めずに済んだのは、栄誉の代わりに創作に向かう心を守られたからだ。

  一方で伊智花に「あまりにも作為的で、写実的とは言いにくいモチーフ」とまで言われた

 女子生徒は、作中では深く描写されない。しかし伊智花と同じく教育学部を出て教師には

 ならなかった筆者は、彼女を思わずにいられない。

  同じ高校生でありながら、その容姿や部活動、振る舞いに至るまでを伊智花と対称的な

 存在として描かれる彼女は、受賞と引き換えに彼女自身が感動の対象となり、消費され

 る。伊智花が興ざめした受賞スピーチも教員の手が入っていないとは思えず、気付いたら

 若葉を描いていたという彼女の言葉を完全には信じられない。

  広島文理科大の長田新が彼の教え子である現役教師たちに呼び掛けて原爆に遭遇した

 子供の手記を集め編集した『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』(岩波書店・1951)

 の成り立ちを思えば、公に出す受賞スピーチには伊智花の顧問のように特に生徒の自立

 性を認める人間でなければ、手直しが入ることは想像できる。

  彼女は今、絵を描いているのか。

  10年の時を経て語り始めたくどうのような人がいる一方で、まだ語れない人がいる。そし

 て、時の流れの中で口を閉ざすことを選んだ人もいはしないか。全ての選択が尊重されな

 ければならない。変容の形は多様である。

  各俳句総合誌三月号が軒並み東日本大震災を取り上げていたが、中でも『俳句αある

 ふぁ』春号における「震災と俳句の10年」(編集部筆)に注目した。近世から近代にかけて、

 傑作選から「多くの作者が特定のテーマの作品を寄せる」形に変容したアンソロジーの歴

 史を整理し、震災俳句アンソロジーを「個人の体験や思念が凝縮した」「災禍の記録そのも

 の」と捉えた点が秀逸である。

  また震災表現についても10年の蓄積を丁寧に追っている。震災俳句における当事者性

 の問題の整理もさることながら、俳句で用いられる言葉の変化を実証的に追った小節は労

 作である。例えば〈泥の遺影泥の卒業証書かな 曽根新五郎〉(「東日本大震災復興支援

 俳句コンクール」第一席)を筆頭に「泥」の語を詠みこんだ震災俳句が引かれ、震災以後

 の「泥」が震災や津波の被害を彷彿とさせるものに変わったと示している。

  『小熊座』三月号を捲ると、「霜柱」と題された作品中に〈被曝牛被曝の泥に踏張れる

 高野ムツオ〉の句がある。牧畜の牛が明け方は身を貫くような寒さに耐え、日中はぬかる

 む「泥」に踏ん張る光景は20年前も存在した。今と異なるのは、牛も泥も被曝していること

 だけだ。そして被曝から10年を経ても、除染作業は終了していない。

  この句の「泥」は牛と同じく被曝の対象であり、震災直後に見られた津波や震災の被害を

 暗示するものという詠みぶりとはやや異なる。10年間で、震災において人は自然に何をし

 たのかという問題が検討された成果だろう。

  未だ終息の兆しを見せない新型コロナウイルス感染症流行の影響により、昨年度に引き

 続き投句審査のみとなった第24回俳句甲子園の兼題の一つは「春泥」である(他は「囀」

 「木の芽」)。高校生には社会的な文脈――今年が東日本大震災と福島第一原発事故の

 発生から10年の節目であることにとらわれ過ぎず、納得できる作品を提出してほしい。






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