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2021/7 №434 小熊座の好句 高野ムツオ
竜天に登る影を濃くする竹箒 渡辺誠一郎
俳句の基本の一つに「取り合わせ」がある。これは俳句が七七の下句を捨てた代償に
獲得した詩として独立するための方法の一つである。『三冊子』にも「発句は取り合はせ
物としるべし」との記述がある。十七音に限定された言葉が拡散したり断片化したりせ
ず、ある一まとまりの完結した表現として働くための機能といってもいいかもしれない。
そこに取り合わされるものは、因果関係や類似性から可能な限り離れた方が望ましい。
しかし、あまりにかけ離れ過ぎ、両者の間の引き合う力、詩的引力が全く感じられなくな
ると作者の取り合わせの意図が拡散化や断片化してしまう。その気息の間合い加減こ
そ俳句生成の醍醐味ということになる。
この句の「竜天に登る」は『説文解字』の「春分にして天に登り秋分にして渕に潜む」に
ちなむ空想の所産の季語だが、言葉とは不思議なもので、いつしかその幻想が春の荒
れた天候の気分を一種のリアリティを伴って伝えるようになった。 「竜天に登る」 と 「竹
箒」の間にはもとより何の関係もない。しかし、にわかに曇った天からまるで竜が指図し
たように、竹箒の影が濃くなり、さらには魔女の乗り物よろしく動き出そうとする気配まで
感じるから痛快である。
風船は爆発寸前三鬼の忌 中井 洋子
これも「風船」と「三鬼の忌」には本来何の関わりもない。だが、「爆発寸前」という表現
が真っ赤な顔をして頬を大きく膨らませた子供の映像から、太平洋戦争( 戦中派は大東
亜戦争と呼ぶ) 末期に日本が実行した最終手段の一つ、風船爆弾まで連想させる。三
鬼の戦火想望俳句はニュース映像や新聞記事などから取材した文字通り想像の所産
だった。だが、約9,300発の風船爆弾のうち1,000発は実際に太平洋を渡り、その
不発の一発に触れた女性教師と五人の生徒が犠牲になった。ペストなど細菌の搭載も
計画されたが、昭和天皇の裁可が得られず、それは、まさに寸前で見送りになった。そ
んなことまで連想させる。
原子炉か継蝋燭か朧の夜 土屋 遊蛍
これも原子炉と蝋燭に何の関係もない。強いていえば形状の類似か。だが、燃え尽き
る寸前に新しい蝋燭を継ぎ足すという忌避行為が廃棄物の最終の行方が不明のまま
新しい原子炉を生み続ける人間の業の深さを暗示し始める。
白南風や三角兵舎半開き 植木 國夫
三角兵舎は特攻隊員が出撃まで暮らした建物。知覧に復元されている。「半開き」が
戦艦に衝突する際の特攻兵の口元に重なってくる。
海牛の静かに太る聖五月 杉 美春
憲法記念日溶接の火花散る 小田島 渚
腸の奥までも春大あくび 八島ジュン
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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