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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (131)      2021.vol.37 no.435



         先を読むことの空しさ半夏雨        鬼房

                                    『枯 峠』 (平成十年刊)


  一見教訓的にもみえる「先を読むことの空しさ」とは何か。囲碁や将棋のプロやギャンブラー

 にこう言ったとて魂には響かないだろう。そこでは「先を読むこと」は快楽だ。いやそれ以上に、

 プレイヤーであることそのものが快楽だろう。あるいはこうもいえるだろうか。近代以後の人類

 の真理の探究の手段である科学は、仮説・実証・証明による恣意の入る余地のない正しさの

 積み重ねによってここまで発展した。これは見ようによっては、未知を既知の技術に変える知

 的なゲームだ。私たちはそうやって文明を発展させたことになっている。だから先を読む者は

 勝者であり、現在只今のコロナ禍の状況においてさえ、「コロナの先へ」や「アフターコロナ」と

 言うものが現れ、また新しいゲームに熱中しはじめる。そのプレイヤーは、まるでダリの「棍棒

 の決闘」のように埋まりゆく己の足下に気づかないものだが、では気づきはどこで訪れるか?

 「先を読むこと」は知性の働きだが、人の独占物ではない。粘菌や蚯蚓にもそのようなものは

 ある。むしろ「空しさ」を覚えることこそが、人間を人間たらしめる、ということではないか。と、こ

 の句を読んで考えた。だから、はじめは芭蕉 〈 夏草や兵どもが夢の跡 〉 の趣かと思ったが、

 しばらくして、鈴木六林男 〈 何をしていた蛇が卵を呑み込むとき 〉 に近いかもしれない、と思

 い直した。「半夏雨」には紙幅が尽きた。

                                            (橋本  直)




  「半夏雨」は七十二候の一つ「半夏生」の傍題である。夏至から数えて十一日目にあたるこの

 頃までに田植えを終える風習が各地にある。時期的には梅雨の終わり頃の雨で、雨量によっ

 ては田植え後の農家に大打撃を与える。

  鬼房句は十二音のフレーズに季語を取り合わせた構成である。先を読むことは空しい、とい

 う感慨。人々に災厄をもたらすこともある半夏雨。この取り合わせから自然に対する人間の営

 みの無力さを想起し、森羅万象を先読みする無意味さとそれに対する憂いに共感するのはさ

 ほど難しくない。

  こうした文体は中村草田男の 〈 蟾蜍長子家去る由もなし 〉 ( 『長子』 1936 )が広く知られ

 る。山本健吉はこの句を家族制度に対する抗議の比喩とは読まない。草田男が句集の跋文

 や自句自註に記す俳句への責任感から、自己の運命に堪え、さらにそれを愛するニーチェの

 「運命愛」に似た思想を指摘する( 『定本 現代俳句』 1998 )。

  鬼房句にはどのような思想があるか。ベルリンの壁の崩壊や冷戦の終結に始まった平成。

 一方で、句集刊行の三年前の1995年には阪神淡路大震災が発生し、多くの人命が失われ

 た。平和と発展を願う人心とは別の力で動く自然を、鬼房は常に感じていたのだろう。

                                            (樫本 由貴)