小 熊 座 2021/9   №436 小熊座の好句
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    2021/9   №436 小熊座の好句  高野ムツオ



  発句を俳句と名付けたのは子規というのが通説だが、俳句の呼称は子規以前にも使

 われていたようで、正しくは子規が定着させ、広めたということである。

  では、名称はともかく俳句のもとになる俳諧性はいつどのように生まれたのか。これは

 はなはだ難しい。一般的には室町末期の山崎宗鑑や荒木田守武らが俳諧の祖といわ

 れている。だが、「俳諧」の語自体、中国由来の言わば漢語であって、栗山理一は『俳諧

 史』で『説文』や『爾雅』などの中国古辞書の解が原義と指摘している。

  連歌の元ともなった宴席などの戯れ歌は万葉集にも多数収録されており、俳諧連歌に

 いたるまでには、典雅な和歌とは別の長い変遷がある。連歌は貴族から武士、武士から

 庶民へと富と文字文化の普及に伴い広がっていった。室町末期の山崎宗鑑撰『犬筑波

 集』が俳諧連歌の最初の集約と言われる。卑俗猥雑ながら、庶民感情が滑稽味を伴い

 生き生きと展開されており、貴族の連歌の価値観を否定し、批判する姿勢さえ感じられ

 る。ただし、低廻趣味を抜け出しているとは言えず、文学的価値を獲得するには貞徳や

 宗因を経て芭蕉の出現を待たなければならなかった。

  「すき」「すさび」「さび」をキーワードとして中世文学の位相を探ったのは唐木順三だが

 この三語に通じるのは隠者としての立場や価値観である。芭蕉の風狂への導きとなる思

 想だ。大雑把な言い方をすれば、これらは中世の戦乱を反措定とした生き方が生んだ

 文学的思想である。鬼房は「乱世の詩想」という一文で、飯尾宗祇の白河百韻をあげて

 「ここには風狂もなければ逸興もない。凍えんばかりのリアリティー。これは応仁の乱の

 大乱時代の旅であり、避難流離の夜空のもとに寄り添って生きている詩人たちの思いが

 ここにこもっている」と述べている。俳句の精神的原点はおそらくこの辺にあろう。俳句は

 名もない庶民の現実に根ざし、現実を見据えるところから生まれる無常感の詩なのであ

 る。流離は生き方の一形態に過ぎない。

    蠅取りリボン昭和の御代を忘れけり      八島 岳洋

  「昭和」を忘れたのではない。「昭和の御代」を忘れたのである。かつて皇国や帝国と

 呼ばれた、忘れてはいけないはずの時代を忘れたとのイロニーである。なぜか〈降る雪

 や明治は遠くなりにけり 草田男〉を反射的に思い出した。それにしても蠅がびっしりと張

 り付いた蠅取りリボンの恐ろしさはこの上ない。

    綿津見にミカドアゲハを奉る          蘇武 啓子

  この句にも時代の批判精神が感じられる。深読みかもしれないが、この幻想的なイメ

 ージの情景の「綿津見」は「海ゆくかば水漬く屍」のそれであり、捧げられる蝶の名前が

 「ミカドアゲハ」と、詩の毒気がかなり効いている。

    ふるふるとゼリーぶるぶるとオスプレイ    神作 仁子

  これもまたユーモアの深度が並大抵ではない。オスプレイがゼリーのように震えて墜ち

 てきそうだ。

  いずれにも現代の無常感が深く湛えられている。





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