2021 VOL.37 NO.437 俳句時評
渡邊白泉についての二つの著作から
渡 辺 誠一郎
渡邊白泉と言えば、〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉や〈銃後といふ不思議な町を
丘で見た〉などの俳句を戦時下で詠んだ、新興俳句を代表する俳人である。しかし、
いわゆる戦争俳句を詠んだことで、治安維持法違反の嫌疑をかけられ検挙される。
起訴は免れるが、執筆は禁止された。戦後になっても白泉は、既成の俳壇からは無
視されていた。それが、昭和三十年代から五十年にかけて、神田秀夫、三橋敏雄そ
して高柳重信らによって、文学全集への掲載や句集が刊行されるなどし、はじめて正
当な評価を得ることになる。
近頃、この白泉についての興味ある著作が目にとまった。今泉康弘『渡邊白泉の
句と真実―〈戦争が廊下の奥に立つてゐた〉のその後』(大風呂敷出版局)と川名大
『渡邊白泉の100句を読む 俳句と生涯』(飯塚書店)である。
今泉氏は、「本書は白泉の沼津時代に光を当てることを中心として、俳人白泉の
「詩と真実」とに迫ろうとする試み」(「あとがき」)と執筆の意図を明らかにして
いる。
この内容は、白泉の俳句の鑑賞、百句抄、全句集の未収録句の紹介などからな
るが、なかでも読み応えがあるのは、白泉と接した様々な人々に、直接取材をして、
白泉の人となりや作品を浮き彫りにしているところである。特に白泉の息子である渡
邊勝氏をはじめ、教員として沼津と岡山で過ごした時代に、白泉を知る同僚や教え子
などからの貴重な証言を得て、われわれが余りなじみがなかった白泉の日常の姿を
明らかにしていることだ。
勝氏によると、父白泉とは、映画や音楽などについて話をしていたものの、高校生
になるまで俳句を作っていることは知らなかったという。教員時代の同僚は、白泉は
常に酒と麻雀にのめり込んでいたと語る。それはいわゆる弾圧の記憶から逃れるた
めではないかとの推測もされている。
教員時代の白泉は、野球部の顧問をはじめ、生徒たちと人形一座にも関り、脚本
と演出などまでしている。教員としては誰もが担う仕事なのだろうが、しかし一方、
沈酔によって、多少軌道を外れる行動もあったようだ。あるときは、酒のせいで保健
室では昼間から寝て休んでいたこともあったという。
いわゆる戦争俳句のイメージが強い白泉だが、それとは違う、少しだらしのない姿
が浮かんで来る。それが、かえって親しみを覚えてくる。
白泉は授業中に、よく戦争の話をしていたと言う。後に教え子が、俳句はもうつく
らないのかと聞くと、「いや、作らないんだよ。文学ってものは、恐いんだよ。」と
述べ、今後も同じような弾圧もあるかもしれないことや家族につらい思いをさせられ
ないなどと語ったと言う。
白泉にとって、過去の出来事は、過ぎ去ったことではなく、今現在も忘れられない
出来事として、胸の閊えとして終生消えることはなかったようだ。
しかし現実には俳壇とは距離(俳壇からは「排除された」というのが正しい)を置
きながらも、俳句を作り続けていた。職場では放課後に教職員を集めて、何度か句会
を開いている。また高校の校内新聞には、「現代俳句読本」と題して誓子や草田男の
俳句を論ずる文章を連載している。このように、俳句の世界からは完全に無縁では
なかったことも、明らかにされている。
今泉氏は、戦後の白泉の心境を、次のように熱く述べる。
「弾圧前の若い頃のようには活発に活動できない。けれども、やめることは出来な
い。その屈折、鬱屈、あるいは矛盾。かつ、それをもたらした存在への「怒り」と
「恐れ」。そうして、ひとたびは権力に追われた身として「怒りに燃え」つつ、「涙
を流しつつ」、「逃げまはる」。すなわち、葛藤を抱えつつ、逃げるように、こぼれ
出る悲しい汗のように俳句を作り続けていく―。」と。
巻末には、全句集(沖積舎)に収録されていない俳句、主に戦後に詠んだ四十三
句が載っている。その中には、沼津高校の校内新聞に掲載された作品、〈秋風や痛
みて軽きポオ詩集〉や教え子に送った色紙の俳句〈桃の花遠くなりたる峠かな〉など
もあり、戦後の日常における白泉の俳句との係わりの一端を知ることができる。
いずれにしても、本書を通して、白泉の存在が一層身近に感じられてくる。と同時
に白泉の日常を垣間見ることで、白泉の重い屈折した心象の世界が、今まで以上に、
より鮮明に浮かび上がってくる様な気がする。少なくとも、本書によって、従来まで
の白泉像は、奥行きを増したのではないかと思われる。
今泉氏は、白泉の俳句の新しさを、「音の響きの美しさと実験精神とが調和してい
ること」、そして「戦争への違和感を高い詩的次元において表現し得たこと」と述べ
ている。
誌面が残り少なくなってきたが、川名大氏の『渡邊白泉の100句を読む 俳句と
生涯』に少しだけふれる。川名氏は昭和俳句研究の第一人者であり、今までも多くの
優れた著作を残している。本書では、今までの研究成果を生かしながら、さらに取材
や調査を重ね、新たな発見を得て、白泉の作品世界とその生涯に濃厚に肉薄してい
る。
その方法は、「白泉の生涯を可能な限り具体的に詳細に調査し、それを効果的な
補助線として俳句を読み解くという方法を採った。」としている。
白泉は亡くなる前、夫人に対して、「自分の俳句は五十年たてば評価される」と語
ったとされる。川名氏は、白泉の世界は今も現代俳句を撃つ力があるという。本書に
おける川名氏の一句一句の丁寧な鑑賞は、そのまま優れた白泉の評伝、作家論とも言
える内容となっている。川名氏は白泉の俳句世界は、「人間存在の根底に触れるよう
な深い孤独感と哀愁感を伏流させながら、新しい多様な表現様式や文体を次々と創り
出していった多面体」の世界であるとし、憂愁感の「淵源」を、「社会の底辺に生き
る一勤労者、一庶民」と白泉自身が認めてところに求めている。この指摘は、今泉氏
がインタビューなどで浮かび上がらせた、白泉の気さくな人柄に重なる視点であるよ
うに思われた。
今回取り上げた二冊の刊行とともに、不思議な空気が次第に濃さを増してきている
中、白泉の俳句が改めて論議されてくる様な予感がする。
|