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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (133) 2021.vol.37 no.437
地に甘えありて黄落期の日暮 鬼房
『鳥 食』(昭和五十二年刊)
木の葉や果実が黄色になって落ちる、黄落期。その日暮れでは、地はまるで甘えて
いるかの表情である、という。
では、地の何をもって甘えていると直感しているのだろうか。大地が、黄落なすがま
まに受け入れていること。あるいは落葉とともに、地が夕暮れの中に溶けてく情景を
いうのだろうか。いずれにしても「甘え」は、一日が終わろうとする黄落の中に立つ
この人物の、少しの安堵感のようなものではないかしら。この句からは、八木重吉
の「冬」という詩を思い出す。「葉は赤くなり/うつくしさに耐えず落ちてしまった
/地はつめたくなり/霜をだして死ぬまいとしている」。鬼房の句の「地」が、冬を
迎えたのである。
私は俳句初学の頃から、砂子屋書房の『佐藤鬼房句集』(現代俳句文庫10)で、鬼
房俳句に親しんた。未完を含む自選句集に、彼の暖かいエッセイにも触れられる。巻
末にはかつて鬼房に寄せた高柳重信、坪内稔典、金子兜太らの文章が解説として掲
載されている。
「草の匂ひの男女に流れ消える星」「馬の目に雪ふり湾をひたぬらす」のうっとりと
する〝甘い〟作品をこの本で知った。
今はこの本と並んで 『霜の聲』(紅書房)そして 『鳥食』(ぬ書房)が手元にあ
る。二度に及んで、小熊座編集部の方から、思いがけない鬼房一句鑑賞の依頼
を頂いて揃えた。どちらもコンパクトで、私の本棚を分厚くしている。
(谷 さやん「窓と窓」常連)
地に降り積もる銀杏落葉に残照がさし、辺り一面が黄金色に輝く。やがて日没が訪
れるが、光を吸収した葉の堆積は微熱を保ち、地面を優しく包んでいる。そんな景色
が浮かんだが、「地に甘えありて」の表現に戸惑ってしまった。甘えの起源は乳児が
母親と自分とは別の存在であり、母親は自分から離れていくという体験をするため、
母親との一体感を求めようとする感情だという。「地」が離れていく「陽=光」に対
して「甘えて」いるのだろうか。掲句は第五句集『鳥食』に収められている。「多賀
城址周辺にて十一句」の中の一句。鳥食(とりばみ)とは、盛大な饗宴の料理の残
りを庭上に投げ、下衆に与えること、またそれを食べる者のことを言う。あとがきに
は「齢五十半ばを越え・・・言葉を絶って地に沈む静謐の霊歌をねがういま・・・し
かしながら私の中の血を見つめずには何事も詠み得なかったように、おそらくこれ
からも鳥食の賤しい流民の思いは消えず、迷い多き詠み手として試行錯誤を繰返し
てゆくばかりなのだろう」とある。鬼房は地にあって鳥食を行う者である。掲句
の「地」とは眼前の多賀城址のみならず、鳥食の地であり、みちのくの風土であり、
阿弖流為に繋がる父祖の地である。栗林浩氏によれば、「彼が『風土』というとき、
その作品には、歌枕のごとき自然の情景だけでなく、縄文から近世までのみちのく
の抑圧された歴史の澱」があるという(『新俳人探訪』)。
(杉 美春)
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