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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (134)    2021.vol.37 no.438



         曼珠沙華この群れたがるものの朱        鬼房

                        『半跏座』(平成元年刊)


  「この」という指示語による強調、「群れたがる」という擬人化、「朱」という体

 言止め。表現を切り分けて見ていくと、こうした技巧が、もったりした口調とともに

 曼珠沙華の言い換えとして印象に残るが、実はこの俳句で一番特異なのは、「も

 の」という把握ではないか。「この群れたがる花の朱」としなかったのは、「曼珠沙

 華と言えば花のことだと分かるから意味の重複を嫌ったのだ」などという、もっとも

 らしくつまらない理由ではない、と思う。

  俳句は、作者が対象をどのように把握したかが肝になる。作者にとって、曼珠沙華

 は「花」や「植物」といった分類し整理し理解できる何かではなく、ただ「もの」な

 のだ。その把握には、何かえたいの知れぬ不気味さがある。そしてこの「もの」は

 勝手に群れたがる。たとえばシャーレの中で集い合う細菌やウイルスのような、

 上空から人の群れる渋谷のスクランブル交差点を見るような、そうした「何か」と

 して把握された曼珠沙華。「朱のもの」ではなく「ものの朱」と表現しているのは、

 まるで曼珠沙華の朱色だけがほかの朱色とはまるで違う色であるかのように感じ

 させる。ただ赤い花が群れて咲いているだけの景色に、彼はどんな薄気味悪い

 生命力を感じ取ったのだろうか。言語化を拒むその感覚がぎりぎり「もの」という何

 も指し示さない一語にたどり着くところに、作者の実直さを感じる。

                            (山口 優夢「銀化」)



  掲句は昭和61年鬼房67歳の作品である。鬼房年譜によると五月には胃切除のた

 め入院。六月十八日に胃の四分の三と膵臓の二分の一、更に脾臓を除去し、八月六

 日退院とある。八月末には現代俳句協会賞選考のために、ふらつく身体ながら上京し

 たとある。普通の人ならば、上京を断るであろうが、そうすることなく出かけ、翌日

 は八田木枯氏らと浅草より厄日の大川くだりをしているのである。〈大川をくだるや

 厄日虚し虚し〉など三句をものにしている。

  さて、掲句に続き〈砂に陽のしみ入る音ぞ曼珠沙華〉〈曼珠沙華首級はいまも生き

 をるか〉の二句がある。曼珠沙華はご存じのように「彼岸花」とも言われ、ちょうど

 秋の彼岸頃に地中から茎だけひょろひょろと伸ばし、花を咲かせ、花が終わると葉が

 出てきて越冬し春の彼岸を過ぎると、次第に葉が消えてなくなる。球根で殖え咲くと

 きは、花叢をなす。掲句はそういう曼珠沙華の本質を詠んだもので、「群れたがるも

 のの朱」と擬人化して詠んでいる。擬人化することで、人間の真情をも詠出してい

 る。三ヶ月に及ぶ闘病生活を経験し、孤独というものをとことん味わった経験から発

 想された作品のように思われる。三句のうち小生は〈砂に陽のしみ入る音ぞ曼珠沙

 華〉と言う、視覚を聴覚に捉えた作品が好みである。

                              (橋本 一舟)