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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (140)    2022.vol.38 no.444



         春昼の遠渚ゆく誰が母か

                                鬼房

                        『地 楡』 (昭和五十年刊)


  初出は「天狼」昭和44年7月号。「仙台湾その他」のタイトルで発表された二十

 句の六句目。明るくあたたかく、のどかでけだるいような昼。渚を向こうへ歩いてゆ

 く女性がいる。その女性に母を幻想したのだ。「誰が母か」の「か」は、いったい誰

 のお母さんなのだろうかという自分への問いかけであり、また、きっと誰かのお母さ

 んに違いないという詠嘆である。そして、いやそうではないとする反語でもある。揺

 れ動く気持ちを確認するように、母音アを連続させることにより、ひとつずつ息を

 切って発音しなければならない「たがははか」という下五が選ばれた。「遠渚」

 の「遠」は物理的な遠さだけでなく心理的な距離をも表している。

  初出誌では、掲句に続いて「領巾(ひれ)振るや東風の荒ら浜長渚」がある(『地楡』では

 「領布(ひれ)振るや東風の荒浜長渚」の表記で、掲句とこの句との間に一句が入る)。

 領巾を振るのは別れの合図であり、女性が作者から離れていくことを示す。いや、見

 ず知らずの男に対して領巾を振ることなどあり得ないし、現代の女性が領巾を身につ

 けているはずもない。そもそも作者は女性を見たのだろうか。おそらくは見たのだろ

 う。そのことをきっかけに、領巾をまとった古代の女性をイメージし、永遠の母親・

 理想の母親として句の中に閉じ込めたのだ。

                            (鶴岡 行馬「鷹」)




  編集部から原稿依頼があり、掲句を拝見したのは3月10日、奇しくも「東日本大

 震災の日」(今年から角川俳句歳時記の春の季語となった)の前日であった。そして

 3月16日深夜、またもや巨大地震が宮城、福島に襲いかかり多大な被害が発生し

 た。この句は昭和44年の作であるから大地震とは無関係だが、「遠渚ゆく母」の措

 辞により、どうしても11年前の大津波を思い出さずにいられなかった。

  さて、改めて掲句を鑑賞すると、年老いた母親らしき人が春の渚をあてどもなく歩

 いている様子が窺える。ここで「誰が母か」と詠んではいるが、私は自分の母親に違

 いないと思う。ある程度年齢を重ねてきた人には分かるのではないだろうか。老母を

 遠く見守りながら、老いさらばえたその姿に涙する作者が見え、母と子の深い情愛の

 繋がりをひしひしと感じさせられる。「地楡」の掲句の二句後には

   領巾(ひれ)振るや東風の荒浜長渚      鬼房 

 が収載されている。この句により掲句は仙台市東部の荒浜海岸の句であることがわ

 かる。荒浜は、186名の方が津波の犠牲となった地区である。私も仙台在住時には

 よく訪れていた海岸であるが、大都会の傍とは思えないとても静かなところであっ

 た。春光の煌めく波打際と遠くを見つめながらゆっくり歩く老女の対比は、一枚の人

 生の縮図とも言える。

                                (大河原真青)