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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (141) 2022.vol.38 no.445
白けたる桜に吸はれゆく臓腑
鬼房
『愛痛きまで』(平成十三年刊)
自己の感覚、感性が強烈にねじ込まれた句だ。「白けたる」は、字面通り、白くな
る、色があせて白っぽくなることだろう。意の転じた、何事にも関心、感動を持てな
い興ざめな様子、ではない。「白」のイメージは、潔白、清潔、神聖。とりわけ日本
人は、いにしえより桜の美しさに心惹かれ、はかなく散りゆく花の見頃の短さから、
人の生命と結び付けて死生観にまで思いを馳せてきた。桜は咲き始めるとその美し
さを競うようにすぐに満開になり、そしてすぐに散ってしまう。その刹那、むなしく
衰え白っぽく色あせてしまった桜を見ていて臓器が吸われゆくような感覚を得たとい
うのだ。この感覚の冴えが眼目。
そして「臓腑」の措辞が印象鮮明。臓腑は、五臓と六腑。「五臓六腑に染み渡る」
の慣用句は、身にしみて深く感じること、 腹にしみるという意味。人間の内臓全体
を言い表す言葉。 つまり、身体全体で深く感じることを表す。一方で「吸はれゆく」
となれば、やはり己の生命が深く深く吸い込まれていくような、ある意味、錯覚
だろう。
桜の生命に己の生身の体、内臓までもが吸い込まれていくような錯覚。そこには、
「白けたる」の印象とは逆の確かな生命と生命との対峙がある。とりもなおさず、眼
前のその瞬間に屹立する今と向かい合う強い態度の表出。むしろ鮮烈なエネルギー
が溢れ出てくるような印象の句である。
(竹内宗一郎「天為・街」)
掲句の収められている『愛痛きまで』は鬼房の生前に編まれた最後の句集である。
この時鬼房は八十二歳。なんと艶やかな書名であろう。多くの俳人は高齢になるに
つれて衰える体力と精神を抱えて、俳句の王道と目される花鳥風月を句材として、
老境にふさわしい句境へと歩を進めがちである。しかし鬼房は、その成熟に最後まで
抗う姿勢を崩さなかった。むしろ逆に「精神的な蒼樹」を願って、幻のような愛を連
ねた。
〈虫愛づる姫に仕へて翁さぶ〉〈双頭の鵼さもなくば野垂れ死〉〈絶景として白息
の痩肋〉〈秘してこそ永久の純愛鳥渡る〉〈沢蟹の痣生れしと常乙女〉 まさに「愛
痛きまで」の鬼房が見える。最晩年に在ってなお俳句への一條の愛を求め続けた
姿が見える。
さて掲句。咲き満ちる桜をよそ目に、盛りを過ぎた花に視線を結んだところに鬼房
の詩境がある。次の世への再生を願って、桜よ倶に在ろうではないか――臓腑を吸
わせながら恍惚とした表情を浮かべる鬼房を想うのは、末弟の一人として過ごした
歳月の為せる幻想であろうか。
(浪山 克彦)
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