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小熊座・月刊
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2022 VOL.38 NO.446 俳句時評
それを選ぶ指先の欲望
樫 本 由 貴
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から二か月以上が経過したが、事態が好転
する兆しは一向に見えない。犠牲になるのは常に市民――ウクライナはもちろんロ
シアも含めて――だ。事態の一刻も早い解決を願ってやまない。
困難な状況下にあっても、人が言葉や詩を手放すことはない。中日新聞の三月
三〇日付の夕刊に「地下壕から平和を願う英語俳句 ウクライナ・ハリコフの23
歳」という記事が掲載されている。ハリコフに住むウラジスラバ・シモノバがロシア
語やウクライナ語で書いた俳句を、日本の新聞に掲載するために自身で英訳した
俳句を読むことができる。加えて「記者が和訳し」、「マブソン青眼さんが監修
した」、日本語の文語定型の俳句も併記されている。一句引く。
A snow − covered car
Is waiting for owner,
But he′ s at the war.
雪積(つも)る車は待つか征(ゆ)く主(ぬし)を
"Time to go back home",
I told myself, entering
The bomb shelter.
帰らむと言ひつつ家はいま地下壕
邦訳は勿論のこと、英訳も比較的語彙の難易度が低く、辞書を使って単語を調
べれば意味を取ることもできるだろう。だが、詩を十全に味わえないとしても、原句
をこそ掲載すべきではなかったかと思う。この戦争が侵略戦争であることを考えれ
ば、中日新聞側が原句の掲載を提案してもよかったのではないか。
なぜなら、公の場で使用する言語の選択は政治性と分かちがたいからだ。例えば
ロシアがウクライナに侵攻して後、これまでロシア語発音に基づいて「キエフ
(Kiev)」と発音してきたウクライナの首都を、ウクライナ語の発音に寄せて
「キーフ(Kyiv)」と呼ぶメディアが増えた。これは、言葉がまっさきに侵略の最
前線に晒されるものであると同時に、侵略に抵抗するもっとも強固な力の一つで
あることを示している。ウクライナの首都を「Kyiv」と発音するとき、私たちはウ
クライナへの連帯を表明しているのである。ゆえに筆者は、原句の掲載を望む。
それらは、その言葉であるがゆえに意味を持つはずだから。
このような欲望はシモノバの詩と正面から対峙しておらず、むしろ詩そのものへの
眼差しを欠いていると言われても仕方がない。しかし、筆者はこのような指摘を覚悟
しながらも、「日本語」の「文語」かつ「定型」の俳句を併記するこの記事の構成に
対して、こう思わずにはいられない。
なぜこの俳句の邦訳に「文語」かつ「定型」が選ばれたのか。一つには、訳者や監
修者がこの型式であれば「読める」読者が多数想定できると考えたことがあるだろ
う。原句よりも英訳を、英訳よりも邦訳を解する読者が多いのは媒体の性質上当然
だ。そして文語と定型が選ばれたのは、シモノバの俳句を俳句として受容させたい/
したいという欲望に応えるためではないか。散文より韻文を、口語より文語をという
選択は、そうでなければ読者が抱きかねない「これは俳句か否か」といったたぐい
の疑問を起こさせない。それどころか「ウクライナで俳句を書いている人がいるなん
て、感動」とさえ、読者に思わせるのではないか。
試しに第30回「伊藤園 お~いお茶 新俳句大賞」の英語部門大賞の俳句と邦訳
を示す。星野恒彦による散文的かつ口語で書かれた邦訳とシモノバの句の邦訳と、
一体どちらを俳句らしいと感じるだろうか。
Cool river / A fish jumps / Another fish jumps
涼やかな川魚が跳ねるもう1つ跳ねる
清水雄二朗(/は改行を示す)
筆者はやはり、シモノバの句の邦訳に既存の俳句らしさへの訴求を感じる。シモ
ノバの句の邦訳は保守的だと言い換えてもいい。
保守的というが、無季であるという点に対してはどう考えるのかという指摘がある
かもしれない。だが「戦争俳句」においては無季の選択はいわばセオリーだ。戦争
俳句には無季俳句の書き手こそが取り組むべきと、日中戦争下の山口誓子が鼓
舞している(「戦争詩歌を語る」『俳句諸論』)。1930年代から、戦争俳句とは
基本的に無季俳句の領土なのである。
このように既存の俳句の系譜にシモノバの俳句を位置付ける手付きには注意を
払いたい。日本語は様々な立場の人たち――アイヌ、琉球、朝鮮など――に教育と
いう名の言語支配を行う際に用いられた過去を持つ言語だからだ。古川ちかし他編
『台湾・韓国・沖縄で日本語は何をしたのか―言語支配のもたらすもの』(200
7)では、三つの地域での日本語による言語支配の諸相が論じられている。
言語支配に注目して書物を探さなくても、阿部誠文『朝鮮俳壇:人と作品 上下
巻』(2002)を始め、磯田一雄による台湾俳壇の研究、中根隆行による朝鮮俳壇
の研究には、皇民化の一環として一部の現地人のエリート層に施された教育の成果
としての日本語俳句を見ることができる。黄靈芝、李桃丘子といった戦中戦後の書
き手は、日本語による支配によって俳句に出会った。彼らの俳句は実に端正な日
本語で書かれる。端正な日本語を書くことは言語支配の達成だ。彼らは戦後も日
本語で俳句を書いたが、それは「自国を支配していた国の言語を使い続ける」こ
とを意味し、彼らを危険に晒した。黄靈芝は句会への道中、自衛のために懐に刃物
を持っていたという(黄靈芝『台湾俳句歳時記』2003)。
話を戻そう。なぜ、シモノバ自身が英訳を付した句に、邦訳が必要だったのだろう
か。なぜ邦訳は文語定型だったのだろうか。なぜ文語定型の訳が併記されるから
こそ、私たちはそれらを読んでしまうのだろうか。英訳ではなく、邦訳の方を読んで
「ウクライナ人が俳句を書いている。嬉しい」と、一瞬でも思わなかったか。
そこにある欲望はもしや、目をそらしてはならない何かと繋がっているのではない
だろうか。そして私たちは全くそれを忘れているのではないか。俳句が世界で書か
れている場面に心を動かす人々を見るたび、それを恐ろしく思うのである。
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