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 小熊座・月刊


   2022 VOL.38  NO.447   俳句時評


    俳句とマンガ―矢口高雄「奥の細道」から

                           及川 真梨子


  五月号に引き続き、文学、俳句に関わるマンガ作品を紹介しようとしたが、一作

 品の批評・解説となってしまった。

     *****

◆『奥の細道―マンガ日本の古典(25)』(全1巻) 著者:矢口高雄 発行:中

 央公論新社 「マンガ日本の古典シリーズ」(全32巻)のうちの一冊である。石ノ

 森章太郎の「古事記」から始まり、水木しげる、横山光輝、竹宮惠子、さいとう・た

 かを、里中満智子、つのだじろう等々、そうそうたるメンバーを集め描かれている

 シリーズだ。取り上げられている古典作品も、源氏物語や平家物語、吾妻鏡、東

 海道中膝栗毛など幅広い。よくある学習マンガと一線を画しているのは、それぞれ

 の作家の解釈で、自由にのびのびと面白く描かれていることである。

  この面白くというのが非常に難しいところで、マンガがその内容の解説書になって

 は、面白さというのはなかなか出てこない。子供のころ、図書館にあった学習マン

 ガで私が楽しいと思うものはほとんどなかった。ところがこのシリーズは、原典のエ

 ッセンスをくみ取りつつ、それを作者がしっかりと飲み下してマンガが仕上げられて

 いる。言い換えれば、それは作者なりの作品になっているということで、中高生の試

 験勉強にこのままに使えるかと言ったら断言はできないが、古典の教科書の入り口

 としては十二分だ。いずれも面白さはお墨付きである。個人的には、坂田靖子の

 『堤中納言物語』がイチオシである。

  『奥の細道』は、『釣りキチ三平』や『マタギ』で有名な矢口高雄によるマンガ化

 だが、特徴はなんといっても精密な風景描写である。私が持っているのは文庫サ

 イズなのだが、それでは画面がもったいないくらい木々や清流、山と言った自然物

 の描写がすさまじく、圧倒される。旅の間の登場人物は芭蕉と曽良の二人になるわ

 けだが、人間がページやコマ割に対してとても小さい。

  多くのマンガにおいては、キャラクターが物語を進めるため、どうしても人々の動

 きや会話のシーンが多くなる。この作品のように、風景の描写によって物語を動か

 すものは流行のマンガではあまりないかもしれない。

  矢口高雄作品を読んでいて思うのは、構図の素晴らしさ、自然物の緻密な描写も

 さることながら、説明上手であることだ。『釣りキチ三平』の一巻を初めて読んだと

 きも、鮎の友釣りの仕組みや竿の仕掛けの説明のページに、なるほどと思った。自

 分は釣りの経験はほとんどないし、竿とエサ以外の専門用語を言われてもわからな

 い。しかし初心者でもすぐにわかる内容になっている。また、『マタギ』のように阿

 仁マタギの文化と歴史、狩りの手法の解説を、情感をもって伝えられる作家である。

  マンガの持つ図解化、エピソード化といった説明の力は強固であり、個人的には

 これを超える情報媒体はないと思っている。絵と言葉が組み合わせられ、しかも写

 真や映像と違って現実世界の制約がないため、情報の取捨選択、強調ができるの

 だ。その点でこの作品は物語としての「奥の細道」の面白さと学習マンガとしての説

 明力をしっかりと持っている。

  マンガにおける絵と言葉による説明は強いと言ったが、それだけではない。マンガ

 における絵と非言語による説明も強力な力を持っている。

  例えば、この作品で芭蕉の句は、読まれた場面のエピソードと合わせて説明され

 るだけではなく、句と一枚絵が添えられている場合もある。〈夏草や兵どもが夢の

 跡〉と繁茂する夏草の絵、〈五月雨をあつめて早し最上川〉に添えられる最上川の

 激流、〈涼しさやほの三日月の羽黒山〉には山道を行く芭蕉と曽良の姿が見える。

 前ページまでの解説があるにせよ、この一句と絵に対する解説はない。俳句作品と

 情景を読者が味わう事ができるのだ。

  俳句は写生という言葉がある。俳句は写真のようなワンシーンを描くことが得意

 とも言う。当然そうではない作品、例えば作者の感情・思考・意味のみで作られる俳

 句もあるわけだが、そうでない視覚的な作品の方が俳句においては優位だ。一句

 と解説のない絵による描写は、この俳句的な特徴を的確に捉えている。

  非常に納得できる作者の言葉があったため、後書きから引用しよう。


    マンガの最も大きな武器は「情景描写」だと、ボクは考えている。情景描写に

   関する限り、いかなる文章もマンガを越えることはないだろう。いや、ここで

   は「マンガ」を「絵」と置き換えれば、容易にご理解いただけるだろう。

    具体例を挙げよう。

    作中に、芭蕉と曽良と図司(ずし)佐吉が、羽黒山の長い石段を登るシーンが

   ある。

    このシーンの情景をあますことなく文章で表現せよ、と言われたら果たしてで

   きるだろうか。

    古今東西の文筆家が、何万語を費やしたとしても、およそ不可能だろう。

    しかし、このシーンを見た読者は、瞬時にしてその情景を読み取り、理解して

   しまう。

    これが、絵の持つ「情景描写」の機能であり、すなわち、マンガの最も強力な

   武器なのである。



  ここでは、絵の持つ「情景描写」の機能が、文章の何万語にも及ばない、とある。

 つまり、マンガには言語によらない説明の機能もあるということだ。

  言語と合わせた図解化・エピソード化の力、言語によらない絵による情景描写の

 力、この二つの説明の力が合わせられ、俳句を俳句以外で伝えるために親和性の

 高い「マンガ」という手法がとられているように思う。

  なおこの作品には、俳諧と連衆による連歌のシーンも描かれている。ページ数の

 関係もあり、奥の細道の全部が描かれている訳ではないが、大筋や空気感を捉え

 るためには素晴らしい作品だ。単行本も全一巻で読みやすく文庫版も出ている。と

 もすれば一番おすすめの作品である。




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