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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (143) 2022.vol.38 no.447
殺されてのちの乳房を思ふ夏
鬼房
『何處へ』(昭和五十九年刊)
「東原十句」と前書のある先頭の句。以下〈梅雨夜更あまた土偶の乳房顕つ〉〈乳
房消え凶荒のごとそよぐ葦〉〈潮騒を消し朝紅の東原〉〈地霊めく葦原蟹や油照〉
〈地割して苦参のゆれる東原〉〈炎天の雀は細身東原〉〈山百合に噎せては石の棒
探す〉〈雷雲の潟の低山匂ひたつ〉〈海蝕の貝塚なりや激雷雨〉と続く十句。
須佐之男命に殺された大宜都比売神の体。『日本書紀』には、髪が牛馬になり、頭
に粟が生え、眉は蚕になり、眼に稗が生え、腹には稲が、陰部には麦と大豆と小豆が
生えたとある。なるほど乳房の記述は無い。乳房からは何が生まれたのだろう。人類
に五穀の種を与えた豊穣の母の乳房。豊満なイメージで捉えるのが普通だろうが、隣
句「土偶の乳房」で印象が破壊される。〈土偶にも窄みし乳房春の虹〉と蛇田の石の
森市朗さんが詠むように、縄文土偶の乳房は貧弱なのだ。三句目からは凶歉、油
照、地割、痩とマイナスイメージの景が並ぶ。だが八句目の山百合の句で復活す
る。この石の棒は女性の土偶と対をなす男根のこと。弱から強への龕灯返し。ここで
豊満な乳房が戻ってくる。波の力で削られた貝塚に打ち付ける激しい雷雨で十句は
幕を閉じる。掲句の疑問。殺された大宜都比売神の乳房は何を生んだのか。その答
えは十句目にあった。生まれたのは天地を経巡る真水だった。
(石母田星人「滝・俳句スクエア」)
この句には縄文土偶の匂いがする。
土偶は縄文時代(約一万五千年前~ 紀元前四世紀頃)に創られた、女性を象徴的
にかたどったと推測される遮光器土偶などが多く、多産祈願、まじない、祭祀、身代
わり(供犠)の儀式用の焼物である。科学などという近代認識がない呪術的な世界観
のもとで生きていた人たちの、今を生きる術に関わるオブジェである。自然という大
いなるものへの畏怖心から、それを鎮め祈る手段として、最初は生身の生娘が儀式
の犠牲になった永い歴史を経て、身代わりの焼物の供物へと変化していった結果の
造形なのだろう。だが、歴史は空間的に不揃いで進み、近代まで日本の各地には、こ
の「土偶」供与の精神は継承されず、生身の女性の人身御供、人柱の風習が遺って
いた。
さて掲句は前文に「東原十句」とある中の一句であり、他に、
乳房消え凶荒のごとそよぐ葦
という句もある。「凶荒」は農作物がほとんど実らない、酷い不作である凶歉のこと
だ。この句との連作であることから、掲句は、その飢饉を背景とした人柱的な儀式が
推察される。「乳房」という言葉に犠牲となる女性性が象徴されているようだ。
社会性俳句が急速に失速していった、時代的な俳句情勢の中で、多くの俳人が拠り
所を喪っていったが、鬼房俳句ワールドには、社会や東北という時代・空間性に依存
しない、魂が古代の命の原点に突き抜ける視座があった。ここにもその証がある。
(武良 竜彦)
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