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2022/9 №448 小熊座の好句 高野ムツオ
夕虹を一飲みしたし最晩年 土見敬志郎
虹のもっとも色濃い時間といえば夕方である。激しい雨が止んだ直後の暗い
空に懸かる巨大な半円の現象は古代人の目には神秘そのものに映ったであろ
う。異界や冥府への架け橋との伝承は世界各地に残る。凶事の前兆として、指
さしてはいけないとか、子供は見てはいけないとのタブーも多い。それを踏まえ
れば、どんな不吉も承知の上で、虹をカクテルよろしく、ぐいと飲む開き直りの
句となる。この「一飲み」は丸ごと一気に飲むという意味と解したい。
「最晩年」からは「衰退のエネルギー」という永田耕衣の言葉を思い出す。生命
体のどこまでが発展でどこからが衰退なのか、なかなか線引きが難しい。生ま
れた瞬間から衰退が始まっているのかも知れない。だが、精神に限っていえば
死ぬ瞬間まで発展していると考えることもできる。いや、もしかすると生まれた
時がもっとも純粋で、以後は、知識と経験という害毒に侵され衰退する一方であ
るのかもしれない。その終着点の最晩年を見据えながら飲む虹であるならば、龍
の化身としての虹こそふさわしいのかもしれない。龍の一気飲みなら、これは貪
欲極まる最晩年といえようか。
いろいろあったが死ぬこともなく竹の花 八島 岳洋
この句も晩年意識濃厚だが、不思議な明るさに満ちている。何がどれくらいあ
ったのか、判然としないが、「死ぬこともなく」というのだから、何度も死と隣り
合わせの時間を生き抜いてきたと想像できる。竹の花が咲くのは六十年から百
二十年に一度。咲いたのちは枯死する。「いろいろあった」果てにまみえた竹の
花はどんな光を放っているだろう。
これほどの大夕焼にひとりかな 日下 節子
同工異曲。「これほど」と強調しながら、どれほどであるかは、これもまた読者
一人一人の自由裁量に委ねられている。俳句はもともと作者と読者との暗黙
の信頼の上に成り立っている芸文。「ひとり」という言葉がこれほど重い句もな
かなか見当たらない。
縄文の太き柱と雲の峰 平山 北舟
俳句は時間経過を表現することができない。それを「時間性の抹殺」と呼び、
この無時間性にこそ「俳句の固有の方法」があると指摘したのは山本健吉であ
る。俳句の特性としてよく知られた考えだ。時間性が失われたのは三十一音の
下句七七音を断ち切って独立したからである。叙述と訣別したのだ。かくて十
七音の構造世界は、その限られた世界で、互いに言葉同士が時間を超えて響
き合う力を獲得した。ここでは並列対比された縄文の昔の太柱と眼前の雲の峰
とが瞬時に出会うことで、人類誕生以前の雲の峰を出現させ、有史以前から
の人間の営みのあり方まで想像させることが可能となった。
王水に溶け残りたる西日かな 八島ジュン
生きていても死んでいても浮く海月 江原 文
遠雷や今宵彼の世へ逢いに行く 佐竹 伸一
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パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
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