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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (146) 2022.vol.38 no.450
翼あるものを休ませ冬干潟
鬼房
『瀬頭』(平成四年刊)
「翼あるもの」とは何だろう。まずイメージするのは鳥類。干潟の上を通過してい
く飛行機ということも考えられる。そういえば、昭和の頃に「翼をください」(作詞
山上路夫・作曲 村井邦彦)という歌が流行ったことがあった。「今 私の願いごと
が/叶うならば翼がほしい」という歌い出しで始まり、「悲しみのない 自由な空
へ/翼はためかせ行きたい」で終わる。ライト兄弟のように物理的に実現させて
しまう手もあるが、そもそも人間には「想像の翼」という言い方もあるように、内
面に飛翔する力を無限に持っている。とすれば、人間も立派な「翼あるもの」
だ。「干潟」は、陸からは栄養塩や有機物、海からはプランクトンが供給される
など、餌場としての役割が大きいという。冬季ならば、なお貴重であろう。目ま
ぐるしく変わる食うか食われるかの生の現場が、翼を休ませる場所でもあ
るというのは、海の懐をよく知る作者ならではではないか。
平成元年から平成三年までの句をあつめたとされる、掲句を収録した第十句集『瀬
頭』にも注目したい。昭和を引き潮、平成を満ち潮と考えたとき、改元という「冬干
潟」で、己の翼を労わっている作者が見えてくる。同時収録の〈老残や年年海の遠く
なり〉〈遠くあるものは遠くに水の澄み〉には昭和への懐古、一方で句集タイトル
の一句〈寒暮光瀬頭の渦衰へず〉には次への始動の滾りが感じられる。
(赤羽根めぐみ「軸」)
干潟を見たことがない。なので冬の干潟は勿論行ったこともない。そこへ持ってき
て 「……冬干潟」の句を鑑賞せよと。無理!頭に浮かぶのはせいぜい我が家のベラ
ンダから砂押川で眺められる砂地にフワリと存在する白鳥ぐらい(ぐらいなどとスミ
マセン白鳥さん)と、潮の引いたあとの小さな水溜りをところどころ残した砂浜に大
小の水鳥が点在する景色。寂寞と云った感じの、しかし冬陽は注がれて、座り込むも
の走り回るもの横切り飛来するもの達の居場所。そこでもう少し冬の干潟を知りたい
と思いスマホで蒲生干潟の冬景色を見てみた。うわっ!賑やか賑やか。何だこれは。
食事時でもあるのだろう。シギの仲間達の乱舞、と説明されていたが、正にそのとお
り。私の思い描いていたものとは正反対の事が繰り広げられていたのだった。「休
む」というのは、私などは何もせず座りっぱなしのコーヒータイムかソファに横にな
ってそのまま寝てしまう、的な感覚しか無い。一心に生きる為の食餌を求めての
行為のひとかたまりと最初に私のイメージしたものとどちらの光景が本句に近いの
かは全く分からないが、静であれ動であれ自然の営みに対する大いなる心持ち
で詠まれているのではないか。つまりは鬼房の大きな大きな眼差しを持ってすれ
ば、それら全てを「休ませ」という優しさ溢れる表現になるのだろう。
(田村 慶子)
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