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2023/1 №452 小熊座の好句 高野ムツオ
(11月号より)
蓮の実を嚙めば翼の疼くなり 永野 シン
成熟すると種が弾けるものを蒴果と呼ぶ。百合や朝顔の類である。弾けるた
めには風など自然の力を借りる。種を自ら弾き飛ばす機構を持つものに鳳仙
花などがある。調べた範囲ではスイレン科は蒴果ではないようだが、蓮の実も
成熟すると果托が乾き、中から実が出易くなるところはよく似ている。風のかす
かな動きによっても落ちるようで、沼の水面などに落ちた音から「蓮の実飛ぶ」
という言葉が生まれた。つまり「飛ぶ」は想像力の所産なのである。この一言で
眠りに着く時期の種子に生命力と躍動感が宿ったのだ。「蓮の実飛ぶ」は日本
人の感受性が生んだ言葉なのである。和歌には蓮は蓮台のイメージで用いて
いる場合が多く、実際の蓮の花が詠われているものは少ない。まして、蓮の実
は例がなく「蓮の実飛ぶ」は俳諧の発明といえよう。
この句は、そうした「蓮の実飛ぶ」の原義を踏まえている。子供の頃、よく蓮
の実を齧った。懐かしくなってしばらくぶりで齧って見た。すると、あの頃と同
じように翼が疼く感じがしたのだ。そして、自分ももう一度蓮の実のように飛べ
るかもしれないと思ったのである。
附言するが、蓮の実の発芽能力の高いことはよく知られている。千葉の落合
遺跡から発掘され、二千年の月日を経て発芽した蓮は、成功した博士の名前を
とって大賀蓮と呼ばれ、中尊寺の泰衡の首桶から発見され、八百年ぶりに発芽
した蓮は中尊寺蓮と呼ばれている。人間の寿命はせいぜい百年。蓮の実の神
通力にあやかれば、まもなくまちがいなく空をも飛べるだろう。
(12月号より)
水澄むや折笠美秋の土踏まず 渡辺誠一郎
手元に昭和42年の「俳句評論」創刊十年記念号がある。特集は大きく分けて
三部。一部は永田耕衣と三橋鷹女二人のそれぞれ十句の鑑賞と批評文。和田
悟朗、三橋敏雄ら二十三名が執筆している。対象者の耕衣、鷹女含めすべて
同人である。二部は俳句評論賞の発表。俳句の部の受賞者が河原枇杷男で、
評論の部が折笠美秋だった。第三部は川名大らによるエッセイ風のアンケー
ト。美秋の受賞評論「否とよ、陛下!」は、浅薄ながらも無季俳句の可能性を探
っていた私にとって、難解だったが、深い示唆を受けた評論であった。美秋は
阿部完市や飯島晴子らと並ぶ俊英として注目されていたが、1982年に筋萎
縮性側索硬化症を発病し1990年3月に帰らぬ人となった。かねがね師の高
柳重信が美秋に美秋句集出版の話をしていたのだが、美秋が病魔に襲われた
翌年、重信は急逝してしまった。句集『虎囁記』は1984年、中村苑子が重信
の遺志を継いで刊行したものである。美秋の闘病を一身で支えたのが妻智
津子だが、二年後に刊行された第二句集『君なら蝶に』には、智津子が、全身
の筋肉が萎えて来る美秋の唇の動きやまたたきを読み取り収録した句も収め
られている。その闘病生活を綴ったのが手記『妻のぬくもり 蘭の紅』で同年刊
行されている。この二冊は、俳壇の枠を超えて話題を広く呼びテレビドラマなど
となり紹介された。
〈溺れつつ水を眄みたりと思いけり〉の句が美秋にあるが、『虎囁記』にはな
い。美秋は仰臥のまま言葉の海に溺れながらも最も心豊かな世界を見たのか
もしれない。
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