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2023/5 №456 小熊座の好句 高野ムツオ
(3月号より)
影までも丸めて鶴の凍てにけり 斎藤真里子
「凍鶴」は難しい季語である。すでに鶴が凍るという類まれな比喩によって作
られた言葉であるからだ。この句の影は現実のそれとともに心象世界の映像と
受け止めたい。鶴自身が影を丸めたとの発想が厳しい自然に耐え生きる鶴の姿
をリアルに捉えることにつながった。用いにくい「けり」という詠嘆も効果的
だ。何より作者の復活を喜びたい。
(4月号より)
外に積む雪かまくらを明るうす 津髙里永子
ドイツの建築家、ブルーノ・タルトが横手のかまくらの美しさを「とうてい筆
紙に尽くすことができない」と絶賛したことはよく知られている。かまくらの
語源は形が竈に似ているからというのが通説だが、神座が転じたとの説もある。
中に水神を祀り、その守り手が神に使える子供であることも同説を裏付ける。
その神聖な空間を守るのが、降り積もり雪というこの句の発想は、豊穣をもた
らす水への祈りが下敷きとなっている。
蝿生まる娑婆の馳走に手を合わせ 小島ノブヨシ
何匹もの蝿が食卓の上を飛び回ったり幼児の頬に止まったりした光景が我
々の日常から消えて久しい。それだけ環境浄化が進み、衛生的になったのだ
から、率直に喜ぶだけでいいはずだが、どこか懐かしくさえなってくる。人間と
はまことに御し難い。「娑婆の空気はうまい」とはかつての任侠映画でお馴染み
のセリフ。娑婆は仏教用語である。原語はサンスクリットのサハーで大地を意
味する。釈尊が大地に生まれたことから、「釈尊の世界」「この世」を指すよう
になった。またサハーには忍ぶという意味があり、中国仏教を経て、忍土つまり
耐え忍ばねばならない迷いの世界を指すようにもなった。つまり、釈尊の世界
がそのまま迷いの世界ということだ。禅宗の「迷界のほかに仏界はなし」との言
葉も根は一緒である。もっともこのあたりの解説は、すべて百科事典からの受
け売りにすぎない。その迷いの世界に蝿も生を受けた。しかし人間のように何も
迷うものはない。目の前の食べ物の上にただ歓喜して手を合わせるように止ま
るだけだ。一茶の蝿を連想させるが、イロニー十分である。
グロッケン鳴りて海豚は星になる 千葉 和珠
グロッケンは鉄琴を意味するドイツ語。鉄琴が子供用の簡素な楽器であるの
に対してグロッケンはコンサート用の共鳴管がついた大きなものを指す。海豚
が星になるといえば当然海豚座。海の神であるポセイドンの妻となるのを拒ん
で逃げた海の女神アムピストリーテーを連れ戻した海豚を記念したとの神話が
ある、二、三世紀頃に作られたらしい。だが、この神話の援用は、むしろこの
句の海豚のイメージダウンにつながる。それより、世界各地で絶滅の危機にさ
らされている現実の多くの海豚を想像したい。せめて、星になって空で安らかに
暮らせとの願いがこもる。その海豚を空に誘うのは、やはりグロッケンの大き
な、かつ深い響きでなくてはならないだろう。幻想だが、単なるメルヘンに終わ
ってはいない。
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