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小熊座・月刊 |
2023 VOL.39 NO.458 俳句時評
言葉と対話する
樫 本 由 貴
第一四回田中裕明賞が岩田奎『膚』に決定した。『膚』は詩想・表現が多様だ。
かといって高踏や難解の印象は強くない。受賞には納得する。ただ、同書の句集
評としてはおそらく唯一、酷評に属する安里琉太「早産されたキメラ」(『現代詩手
帖』2023・3)の見解にも首肯できる部分がある。安里は『膚』の諸作の書きぶ
りを「懐かしいもの」とし、刊行は時期尚早であったと難じる。ここでいう「懐か
しさ」とは類想や表現の類似のことだ。例えば安里は〈愛鳥週間調律師この木木を
来よ〉に〈調律師花の下より現るる〉(佐藤郁良)の先行句を指摘している。
このような明らかな類句だけではない。安里は『膚』の〈何もない鶴の林を飛ん
でゆく〉から田島健一の〈なにもない雪のみなみへつれてゆく〉を連想しているが、
筆者も同感である。田島句は「オルガン」でともに活動する鴇田智哉の〈南から骨
のひらいた傘が来る〉との影響関係が考えられよう。しかし、この二句は「南」とい
う漠然とした語と「来る/つれてゆく」という移動のイメージとの絡み合いから生じ
る不安を共有しつつ、語彙や句形は別物として成り立っている。対照的に、岩田
句と田島句では「何もない」という印象的な語が共通し、「ゆく」という結びに至る
中七以後の韻律も類似しており、安里が「捨てるべき句」と指弾したのも理解でき
る。
だが、安里自身もこの種の借用を得意とする俳人であることには留意したい。
安里の句集『式日』にも(安里の意味合いとやや異なるだろうが)「懐かしさ」があ
る。すでに諸評で指摘される通り〈たそがれの雲間の凧をふと見たり〉は〈旗のごと
なびく冬日をふと見たり 高浜虚子〉の下五を裁ち入れたものだし、〈夏を澄む飾
りあふぎの狗けもの〉は〈夏を澄む虻にまつすぐ来る母よ 宇佐美魚目〉の上五
の借用だ(余談だが、上田信治は「安里琉太句集『式日』を読む」(『週刊俳句』
2021・3・21)で下五「狗けもの」も魚目の〈鶏うさぎ生れて木曽の青あら
し〉だと指摘しているが、中原道夫の〈肌脱の裏庭に飼ふ禽けもの〉の方だろう)。
安里の『膚』批判は、表現の借用や他者から影響を受けることではなく、その巧拙
の問題に向けられていると理解すべきだろう。
優れた表現は別の作者によって生かされ、反復される。例えば件の『膚』評で
安里は岩田の〈にはとりの歩いてゐたる木賊かな〉に対し〈にはとりの首見えてゐ
る障子かな 生駒大祐〉と〈遁れたる鶉に揺れて木賊かな 堀下翔〉という先行句
を挙げるが、この二句とて誰かの影響下にある。これは安里も理解しているはず
だ。鶏を平仮名で書くという歴史的仮名遣いのフェティシズムは2000年代に〈に
はとりのまぶた下よりとぢて冬 相子智恵〉や〈にはとりの煮ゆる匂ひや雪もよひ
鴇田智哉〉の例があり、擬古趣味の先達・如月真菜や〈借用〉派が総じて愛読し
ていると思しい魚目や飴山實の先例もある(大元は芝不器男〈永き日のにはとり
柵を越えにけり〉か)。堀下句は明らかに魚目の〈一睡のゆめ木賊より鶉出で〉を
踏まえており、季重なりや「て~かな」の句法は岸本尚毅の影響だろう。
全体にわたる盗用や類想は別として、詩歌の言葉は一人のものではない。借
用の手際自体がその句の価値にもなりうる。巧拙の如何に尽きるのだ。ただ、誰
のどの句から借用するのかはそろそろ問われてほしい。最近の比較的若い俳人
たちはとりわけ波多野爽波の「青」の周辺の俳句を覚えることに熱心だ。もちろん
「青」の技術には学ぶところが多く、筆者も愛読している。だが〈秀句〉の作者が偏
重してはいまいか、そしてそのリストの形成には多分にホモソーシャルが作用して
いるのではないかと感じもする。先般、ホモソーシャルからの疎外を理由の一つと
して俳句断筆を宣言した(「攪乱の句の、その終わり」、note、2023・4・
8)青本柚紀なら、どう考えただろうか。
岩田の「にはとりの」の句に話を戻そう。安里が生駒句を挙げたのは「にはとり」
が共通している以外にも、「てゐる〜かな」「てゐたる〜かな」という詠みぶりが似
ているからだろう。両者が類似していることに異論はないが、「てゐる〜かな」と
「てゐたる〜かな」には違いがある。「てゐる〜かな」は遡ると虚子などに用例が
あるが、「てゐたる」という冗長な表現を「かな」に重ねる表現はさほど古くないの
だ。早いものとして思い出されるのは石田勝彦の〈鰰に映りてゐたる炎かな〉で、娘
の石田郷子にも〈杉山のけぶつてゐたる網戸かな〉がある。同種の表現である「て
をりたる~かな」には、郷子に〈鹿の瞳の濡れてをりたる若葉かな〉、勝彦門の千
葉皓史に〈他家の子の泣いてをりたる祭かな〉がある。これは昭和末期から平成期
に勝彦の周辺から発生した文体ではないか。
10年前、石田郷子の文体の影響力が話題になった。議論は「石田郷子ライン」と
いう中原道夫の命名の是非も問われて拡散してしまったが、重要な問題だった。
その後筆者は先の祭の句も収める千葉の第一句集『郊外』(1991)を読んで驚
いた。〈てのひらにはりついてゐる金魚かな〉〈大風やはうれん草が落ちてゐる〉
〈そののちの春のいそぎとなりにけり〉等々、「平成」の俳句を予告するような詠み
ぶりの句が並んでいたことに感動すらした。
その千葉が30年ぶりの句集『家族』(ふらんす堂)を刊行した。〈枯菊の沈んで
ゆける炎かな〉〈コスモスを大人数の去りしなり〉〈幼子の掌のみだりなる氷かな〉
等、簡素できっぱりとした秀句の目白押しだ。かつて千葉が「最短の詩型である俳
句にとって単純化は必須の条件」(石田郷子『秋の顔』栞)と述べた通りの句群で
ある。『郊外』時代のテイストそのままなのはご愛敬だが、若き日の『郊外』の到
達点がそれほど高みにあったということでもある。
惜しむらくは〈金星の生まれたてなるキャベツ畑〉という句が入っていることだ。
これは〈金星の生まれたてなるとんどかな 大峯あきら〉を失念して自分の表現だ
と思い込んだのだろうか。ちなみに岩田奎は千葉句の初出時に大峯句の存在を
指摘している(「【勝手に座談会】『俳句』6月号」『帚』2020・7・17)。
ここまで書いて、大石悦子の訃報に接した。大石もまた言葉の借用に長けてい
たが、大石は俳句の外の言葉で俳句を書く人だった。最後の句集『百囀』の〈蕪
村忌の青楼の黒框かな〉〈画眉鳥を加へ百囀ととのひぬ〉〈裂織に緋の顕つ佐渡
は雪ならむ〉等に見られる絢爛たる言葉たちは一体どこから現われたのだろう。
現代俳人でもっとも彫琢された表現の使い手の一人だった大石の死を悼む。そし
て、絶えず書物と出合い、言葉と対話する態度を忘れずにいたいと願う。
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