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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (156)    2023.vol.39 no.460



         ぱりぱりと雷蹼が生え出さう

                              鬼房

                           『瀬 頭』(平成四年刊)


  あたりに雷鳴が「ぱりぱり」と亀裂が走るように響いて、青白い電光が空を縦横に

 貫き、だんだんと近づいてくる。大気を震わす音とともに、大粒の雨が地上を打ち始

 める。天候の変化に呼応して己の身体も異変をきたす。指のあいだがムズムズして

 なんだか蹼ができそうだ。

  かつて日本各地には雷獣伝説があって民俗資料にも、その名が記されている。う

 かがい知れぬ異界である空から、落雷とともに異形の獣が降ってくる。江戸時代の

 古書には、犬、猫、狸、鼬などに似た怪しい獣の姿が描かれ、中には鋭い牙や蹼を

 持った奇妙な動物との記述もある。鬼房は、それらの伝承を知った上で、掲句を作っ

 たのだろうか。

  よく知られている鬼房の句〈やませ来るいたちのやうにしなやかに〉は、同じ句集に

 収められている。「やませ」とは、北海道から東北地方にかけて夏の冷害をもたらす風

 のことで、「山瀬風」「山背風」と表記する季語だ。農作物に多大な被害をもたらす風

 に「いたち」のような具体性を与えることによってさらに不気味さと俳味が加わった。

  〈吐瀉のたび身内をミカドアゲハ過ぐ〉の「吐瀉」の不快感は「ミカドアゲハ」によ

 って純化され華麗な作となる。掲句の場合、雷という自然現象に対して「蹼」が生えそ

 うだと捉えて俳諧となった。鬼房の身体感覚の表現の斬新さは、芭蕉の「新しみ」を

 追求する態度を実践していよう。

                           (角谷 昌子「磁石」)



  「蹼が生え出さう」という表現になるほどと唸ってしまう。まっ黒い空にギザギザの

 稲妻が走る。その瞬間青白く透き通る身体から蹼が生えてくる。あたかも稲が稲妻

 によって霊的なものと結合した結果に稲穂が実るかのように。古来より雷は神様が

 鳴らしている「神鳴り」と信じられていた言葉の由縁なのかも知れない。又雷は時に

 大蛇の姿をとる。大蛇に蹼が生え出ても不思議ではないだろう。

  雷は落ちた場所に近いとパリパリ、やや離れるとバリバリ、遠くならゴロゴロと聞こ

 えるのらしい。「パリパリと雷」は多分近い場所に落ちた衝撃から生み出された句なの

 であろうと推察される。「パリパリ」の擬音語がまるで煎餅が割れるようで小気味良い

 音を出している。他にもこの句集の中に「冷夏なりさりさりと脳薄切りに」「雲に乗た

 しさくさくと水菜嚙み」も擬音語オノマトペが巧みな句だ。『瀬頭』の中にありなが

 ら「やませ来るいたちのようにしなやかに」「残る虫暗闇を食ひちぎゐる」とは句の重

 厚さに少し欠けたかのような響きがあるが、鬼房はこの『瀬頭』で蛇笏賞を受賞した

 その時の言葉に、作句は岩に爪書きするようなもので爪は裂け、血が滲むと語って

 いる。軽みと感じる句は人生の重さから脱け出てもう仏の世界と一体となりつつあ

 る鬼房が居たのであろう。古稀童子となりそこねたが、手足指縵網相が生え出たの

 かも知れない。

                                (大西  陽)