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 小熊座・月刊


   2023 VOL.39  NO.461   俳句時評


    句集『広島』の言葉の重さ―今も。

                         
渡 辺 誠一郎


  ロシアのウクライナ侵攻は一年半ほどが過ぎたが、終息・停戦の兆しは見えな

 い。この戦争でロシア大統領のプーチンは核の使用をほのめかした。核の脅威は

 かつてないほど高まった。これに伴い関係国の軍事費は軒並み増加の一途をた

 どっている。軍備のバランスは新たな局面に入った。

  このような状況の中で、句集『広島』を手に取った。この句集の存在については

 耳にしていたが、実際目に触れる機会はなかった。それが、六月に東京で行わ

 れた現代俳句協会賞の選考会後の打ち上げの場で話題になり、顕彰部長の宮

 崎斗士氏から借用でき、遅ればせながらページを開くことができた。この句集につ

 いては、すでに樫本由貴氏が本誌上で何度かふれているが、ここでは一読した私

 なりの感想を述べる。

  句集『広島』は、昭和30(1955)年、原爆から十年後に句集広島刊行会によ

 って出版された。句集は674名(約250名が被爆体験者)の一万句以上の応募

 の中から、545名の1,521句を選んで収めたもの。句集の出版は、当時の広

 島県内の俳句結社のメンバーが刊行会を結成し、全国に広島の原爆についての俳

 句の応募を呼びかけ、実現をみたものだ。それが近ごろ、編集員の一人の自宅

 から500冊が見つかり、図書館や俳句団体に寄贈し、改めて注目を集めるように

 なった。『広島』は、戦後俳句史における俳句資料としてはもちろん、俳句の世界

 を越えた戦後資料としても貴重である。私の川崎に住む叔母は、今も健在だが被

 爆者である。当時叔母は広島に隣接する町で看護師をしていた。それが被爆の報

 を受け、ただちに広島に入って、救護活動に当たった。毛髪が薄いのはそのせい

 だと、会う度に嘆かれた。現在、被爆健康手帳の交付を受けている。『広島』のペ

 ージを捲り、叔母と同じような体験者の句が目に止った。

  (爆心地より二里を隔たる所にて原爆傷者を看護す)と前書がある次の句。


   夏夜半眼なき娘の面つぶやきぬ         大阪   邊見邦市


  やはり広島の在住者の俳句には衝撃を受ける。


   ケロイドのモンペ短かき女教師よ        広島   菅田賢治

   兵の骨ひろへば鳴りぬ炎熱下           広島   金本鳴水

   落葉急ぐ校庭爆死の骨片秘め           広島   岡田正毅

   炎天下溝越ゆるごと死者跨ぐ          広島   金行文子

   ケロイドの手が吊皮に星凍る          広島   下野 薫

   爆死者の転がる路傍夕炊ぎ           広島   佐伯泰子

   裂け口に腸垂れ裸兵氏名言ふ           広島   宮田哮風



  『広島』を読み終えると、圧倒的な惨状を詠んだ衝撃的な内容の重さが胸に応え

 る。原爆に撃たれた人々、そこでの惨状、そして悲惨な思いが一句一句から直接

 生々しく迫ってくる。読み進むにつれて、俳句という表現の世界にいることを忘れ

 る。俳句という表現のスタイルを越えたところで、一人一人の絶唱が際立っている。

  この句集が刊行された頃、俳壇では、「社会性俳句」の論議が話題になった。だ

 が、この『広島』を手に取ると、そのような俳壇の論議とは異なる場でも、時代の様

 相と真剣に向き合おうとした多くの俳人たちの姿勢に感銘を覚える。収録された俳

 句からは、無季俳句、自由律俳句、分かち書き俳句も目に留まる。また「かな」で

 終わる俳句がほとんどないに等しいのも興味ある事だ。

  しかしそのような俳句表現の違いにとどまらず、いやそれ以上に、俳句という枠

 から、作者ひとりひとりの思いがはみ出るように読む者に迫ってくる。その思いは重

 く響いてくる。東日本大震災の時の俳句にも似ていないこともないが、同じではな

 い。戦争には特に「血」の臭いがある。誤解を怖れずに言えば、壮絶な惨状を詠

 んだ言葉からは、「死」「傷」など、臭気が生々しく漂っている。

  それは多くの前書に記された内容からも理解できる。多くの前書からは、被爆

 後の惨状やその後の状況が詳細に浮かび上がり、俳句を読む者に一層現実感

 を与えている。内容的には、当然のことだが、特に広島在住者が詠んだ俳句から

 は、惨状を目の当たりした俳句が多い。しかし一方、傷痕深い苦しみの写実の世

 界から、一つ昇華された内面化へと向かう作品世界が散見できるのは、注目すべ

 きことだ。


   被爆忌の脳裡にきしみ蟬喚く         広島    宇野 義昭

   生き残ることの不運も昼目覚め        広島    松村多希女

   炎ゆる日へ虚空を掴む手をあげし       広島    伊賀崎静子

   雲灼くる広島裸足の神生れよ         岐阜    尾關 栗華



  『広島』には、すでに名前が知られている俳人の名前も見える。句集刊行時にす

 でに亡くなっていた原民喜は、〈死に近きものみな沈黙し木下闇〉〈廃墟すぎて蜻

 蛉の群を眺めやる〉など十二句が載る。同じく被曝した野田誠は〈天の亀裂に 息

 ととのへむとする 揚羽〉と。同じく相原左義長(愛媛)は、〈爆心地で汗する無数

 の沈黙に合ひぬ〉と詠む。

  その他、金子兜太、栗林一石蕗、西東三鬼、佐藤鬼房、沢木欣一、中村草田男

 藤田湘子、富沢赤黄男らの作品が見える。三鬼は旧作(昭和二十年)と前書を付

 け、〈広島や卵食ふ時口ひらく〉を、高柳重信は〈杭のごとく/墓/たちならび/打

 ちこまれ〉を載せる。鬼房は、〈戦あるかと幼な言葉の息白し〉〈怒りの詩沼は氷り

 て厚さ増す〉など十句を寄せる。

  これらの著名な俳人の句は、原民喜や左義長以外は広島の被爆の惨状を目の

 当たりにはしていない、原爆の惨状を受け止めながらも、ビキニ環礁の水爆実験

 (第五福竜丸事件など)や冷戦構造に突入した当時の時代状況を反映している世

 界だ。しかし先に見た広島の俳人たちの作品が、かれらの俳句に劣るとは思えな

 い。作品の存在感の位相が異なるだけだ。

  『広島』の序文を書くのは当時の広島大学学長森戸辰男で、この句集が、「か

 の日に生き残つたものと逝いたものとのともに奏でる魂の交響楽」であり、世界

 の平和を希求する人々の「心情の綱」となると述べている。まさにその通りだ。しか

 し一方、「惨状」の世界から、政治(国家)の闇へと肉迫している作品がほとんど見

 当たらないのはどうしたことであろうか。少なくとも互いに交戦した国家の重い影は

 見えてこない。                            (続)




 
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