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小熊座・月刊
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鬼房の秀作を読む (159) 2023.vol.39 no.463
ゆるやかに死ぬ海の鳥雪霙
鬼房
『鳥 食』(昭和五十二年刊)
霙まじりの雪は、水分を含んでいる分だけ、単体の雪よりも重たい。雪ほど細やかで
なく、白くもなく、さらさらと音がするわけでもないが、味わいがある。というのも、
霙については、酸いも甘いも知っているような、雪・雨のどちら側にでもなれる要素を
含んでいるように思うからだ。
この一句、とてもゆったりとした感じを受ける。もちろん中七で切れてはいるが、比
較的軽い切れだ。「ゆるやかに死ぬ」というのは、忙しくなくという意味や、自然や時
間に任せるといった意味だろう。さらに「海の鳥」の「の」がやわらか。「海鳥」とい
う熟語にしなかった効果がある。座五に季語があることも含めてゆったりとした韻律
が余韻となり、読者がこの句と長い時間を過ごすことができる。
多くの人は、ピンピンコロリと死んでいきたいという。果たして、自分の死は想像が
つかないが、今この瞬間さえも、細胞をはじめ身体はゆるやかに滅んでいる。ところ
で精神はどうだろう。齢を重ねるごとに、さまざまが、英知として統合されていくのだ
ろうか。雪が霙に/霙が雪になるように。
海にいる鳥は、高く飛んでいても、岩場にいても、私にとっては概ね気ままなイメー
ジがある。汀を想像するからかもしれない。それでも鳥は、生き抜くのに逞しいはず。
私もこの句のように、ゆるやかにかつ逞しく生きてみたい。
(宮本佳世乃「炎環」)
「ゆるやかに」を眠るように苦しまずというような意味に捉えづらいのは、雪霙にあ
る。雪であれば死の荘厳さを持つ劇的な仕立てとなり、誂えた感じが否めないが、雪
霙では、羽根が濡れ、鳥のほっそりとした肉体が顕わになり、死へ向かって容赦なく
冷えてゆく感覚が生々しく伝わってくる。また「ゆるやかに死ぬ」からゆるやかな死=
生を得ると同時に肉体に内包される緩慢な死も想起させる。
鬼房は、一つ前の句集『地楡』所収の『鹹き手』を「絶叫型」と自嘲している。〈お
ののきの手が生え限りなき流砂〉〈鳥族の目が横ざまに夜を流れ〉など、絶叫の連打
に研磨され現れようとする何かが光を放つ。死に物狂いの姿勢は他者には滑稽と見
えても、表現を求道すれば、その狂気を一度は通過せざるを得ないと鬼房は思って
いたはずである。その結果、生命が根源的に持つ憧れと畏怖が神話と結実した〈陰
に生る麦尊けれ青山河〉が産み落とされた。
その絶叫の時期を経た『鳥食』においては、「訴え叫ぶことから、言葉を絶って地
に沈む静謐の霊歌をねがう」境地への変化が自覚されている。絶叫からゆるやかさ
への移行とも言えるが、鬼房の中では、いずれも同質のものだったと思われる。鬼
房のゆるやかさは力を抜いた無作為ではない。絶叫と同様の力学が働いている。だ
からこそ、掲句のゆるやかさと死の結びつきが揺るがないのである。
(小田島 渚)
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