小 熊 座 俳誌 小熊座
高野ムツオ 佐藤鬼房 俳誌・小熊座 句集銀河星雲  小熊座行事 お知らせ リンク TOPへ戻る
 
  
  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (167)    2024.vol.40 no.471



         葡萄樹下奔馬のごとき洩れ日あり

                              鬼房

                         『鳥 食』(昭和五十二年刊)



  昭和五十年、鬼房五十六歳のときの句。葡萄の葉が作る影の隙間から射し込む光

 が、まるで奔馬のように勢いよく飛び出してくる様子が描かれている。まず、「奔馬の

 ごとき」という強烈な比喩表現が意表を突く。奔馬とは、勢いよく走る馬のことであ

 り、勢いの激しい様子をたとえるときにも用いられる。一般的には木漏れ日は静的な

 イメージで捉えられがちだが、ここではその光が生き生きと動き出し、まるで命を持っ

 ているかのように感じられる。それは「馬」という生き物の一字の効果であろう。日差

 しが葉の間から差し込み、その漏れ出る光の粒子が、風や葉の動きによって変幻自在

 に動く様子を、「奔馬」という動的なイメージで捉えることで、光と影のダイナミズム

 を感じさせるのだ。

  葡萄はつる性の落葉低木。葉は手のひらほどの大きさで、九月の終わりごろから

 葉の色が変化するのも美しい。葡萄の実る秋は、日差しも柔らかくなり、自然が一層

 豊かさを増す。そんな葡萄の木の下の「静」と、そこから飛び出すような光と影の

 「動」の対比は鮮やかだ。結びの「洩れ日あり」の強い断定も、一句の調べに張りを与

 えている。鬼房には、自然を詠むときにもどこか自身を投影させているような印象が

 ある。「奔馬のごとき」はその表れか。同時に、木漏れ日の変容に秋の日の一瞬の輝き

 を見て取る観察の鋭さと、表現の巧みさもまた鬼房なのだと実感する。

                             (永瀬 十悟「桔槹」)




  佐藤鬼房全句集の年譜によれば、掲句は昭和五十年(1975)、鬼房五十五歳の

 作品である。年齢的にも壮年期を迎え、句境も円熟さを増している時期でもあるが、

 同年九月に過労のため入院休養、次女が山形の方と結婚との記載もあった。体調を

 崩し、身体的苦痛と感性がより鋭敏になっている中で生まれた作品と言える。

  上五の「葡萄」はたわわに実った情景であろう。葡萄の香りと豊穣のイメージが想起

 される。中七の「奔馬のごとき」の措辞は、自身の激しい情念の吐露ともとれる。下五

 の「洩れ日」は、自分にふりそそぐ希望の光と感受したのであろう。次女の結婚に際

 し、山形で生まれた作品と想像する。山形は葡萄の産地で、かつて競馬場もあったこ

 とか奔馬の姿が見えたのかもしれない。実景と心象が融合し、次女の結婚の喜びと

 祝福の気持ちが出た作品ともとれる。

  掲句が収められている「鳥食」のあとがきに「齢五十の半ばを越え」「私にとって

 この句集はなんらかの区切りになるかも知れぬ。収斂の時期、身軽にやさしくなりた

 い。」 「迷い多き詠い手として試行錯誤を繰返してゆくばかりなのだろう。」と記さ

 れていて、当時の心境が伝わる。

  尚、掲句は講談社「日本大歳時記」にも収録されている。まさに葡萄酒のように、時

 代を越えて熟成されている名句でもある。

                                (小野  豊)