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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (168)    2024.vol.40 no.472



         宵闇のいかなる吾か歩き出す

                              鬼房

                         『何處へ』(昭和五十九年刊)



  1961年に発売されたフランク・永井の代表曲「君恋し」は「宵闇せまれば 悩み

 は涯なし」と始まる。小さい頃に耳で覚えた歌は言葉のイメージを育む。「せまれば」

 と「悩み」から「宵闇」に苦しさを感じた。そんな「宵闇」ならば「いかなる吾か」と

 自問してみても苦しさを抱えていることに変わりはない。苦しくても、あるいはだから

 こそ、さらに深い闇へと「歩き出す」ように見える。

  だが「宵闇」は秋の季語でもある。国語辞典では「夕やみ」「宵のうす暗さ」と共に

 「月の出が遅くなる陰暦16日から20日頃までの、宵の暗さ。また、その時刻。

 季・秋」とされ、さらに古語辞典と歳時記では「暁闇に対していう。」「仲秋の名月

 以後」「裏に月を待つ心がこもっている。」とつけ加えられる。秋の夜の気配が句

 に流れ込む。

  名月の明るさを思い返せば改めて周囲の暗さが感じられるだろう。だが、この暗さ

 は月が出るまでのことだ。夜明け前が最も暗いという「暁闇」と確かに対なのだ。なら

 ば「吾」は、やがて出る月の明るさを恃みに「歩き出す」のだろうか。とはいえ、「い

 かなる吾か」は、もう一人の自分を見ているようだ。どちらの自分が「歩き出す」のだ

 ろう。夜の始まりに「吾」が傾くのは闇と光のどちらだろう。存在の不可思議さと

 「宵闇」の重層性を「歩きゆく」でも「歩きをり」でもない「歩き出す」力感が支える

 世界だ。

                  (水野真由美「海原」「鬣-TATEGAMI」)




  毎夜 月は形を変えて空にある。

  宵闇は夜々長くなり よるべない心持ちで待つ月の出は遅くなる。むかしむかし 月

 の出は人と会う約束の時に使ったのではあるまいか。あるいは悪行の合図に使った

 のではあるまいか。

  名月までは どこか月を待つ心に喜びを感じられているし 何かしら期待するものも

 あったが 名月を賞で楽しんだ後は 月の出は遅くなり形は痩せ始め 孤独な時間が

 長くなるように思う。 人の心の闇を いやが上にも重ねてしまう。欲望に満ちた人間

 という複雑な生き物を捉えた句に思える。「いかなる吾か」とは 限定できない吾であ

 り姿が見えてこない。 得体の知れない吾が 意思も持たずに歩き出すとは 鬼房は

 何処から何処へ 何のために一歩をふみ出したのか。

  宵闇にしかも人間の心の闇を暗示しながら。私には決して明るいへ行こうとしている

 とは読めない。鬼房の句は多くは読手をうなずかせ 平穏な日々は君達にもあると導

 いてくれることがあるがこの句の救いはどこか。読手を突き放す句にも思える。めずら

 しいことだ。鬼房のままならない半生 病弱な自身を嘆く苦しみの句なのだろうか。

  名月のあとの宵闇を長く楽しみ句作に励む鬼房がそこにいてほしい。

  宵闇なのが私は救われる気がする。

                               (中鉢 陽子)