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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (169)    2024.vol.40 no.473



         草の絮わが行く先の宙に満ち

                              鬼房

                         『何處へ』(昭和五十九年刊)



  詠まれているのは小さな「草の絮」。おそらく、秋日和の野路を歩いている時の景で

 あろうが、なんとスケールの大きく美しい句であろう。歩く道の先には、草の穂絮が無

 数に漂っている。日差しの中に満ちたその光に、作者は星、さらには宇宙を見たのか

 もしれない。「宙に満ち」の措辞で、眼前の草の絮から遥かなる空まで描くことに成功

 している。

  そして、掲句は昭和59年に刊行された第八句集「何處へ」の「海百合(昭和57

 年)」の章に収められている。昭和60年、鬼房は『小熊座』を創刊していることか

 ら、「わが行く先」は、これから進む俳人としての、また一誌の主宰としての道に通じ

 る。

  翻って考えると、誰しもがこんな景を見たことがあるのではなかろうか。そう思わせ

 てくれるのは、風土性とロマンチシズムの融合により、普遍性を帯びた仕上がりになっ

 ているからであろう。その後の鬼房の来し方は、いわずもがな平成5年に刊行された

 『瀬頭』で第27回蛇笏賞を受賞し、『小熊座』を現代でも有数の結社に育て上げ、そ

 の中から様々な才能を輩出してきた。あの時、日差しの中を漂っていた草の絮のよう

 に、作者の周りには輝かしい俳人たちが集い、共に歩み、いまもその意思を受け継ぎ、

 それぞれの行く先を目指しているのだ。

                            (抜井 諒一「群青」)




  イネ科やカヤツリグサ科の草が秋に出す穂花を「草の穂」と呼び、それが結実して

 棉状になったものを「草の絮」という。

  作者が歩いていると、風に吹かれた草の絮がふいに目の前に舞い広がった。ありふ

 れた景ではあるが、「舞う」ではなく「満ちる」としたことで、草の絮が非凡な存在感

 を放っている。また、「宙」という言葉選びにより、景が異次元的で広がりのあるもの

 となり、そこに向かう作者の足元まで草の絮に埋め尽くされているような浮遊感を感

 じた。かたちは違えど、自分もまた無数の草の絮のうちのひとつに過ぎないのではな

 いかとすら思えてくる句である。

  草の絮は風に飛ばされることで種子を遠くまで運び、生息範囲を広げる役割を果た

 す。儚く見えて、ひとつひとつが種の生存には不可欠な存在だ。対して人間はどうで

 あろうか。人が他の生物と異なるのは、子孫に限らず様々なものを遺せるという点だ

 ろう。それにはもちろん俳句も含まれる。飛ばされた草の絮が様々な場所で芽吹くよ

 うに、今でも鬼房の句は後世の俳人に愛され、影響を与え続けている。

  掲句は、昭和59年刊『何處へ』に収録された一句である。己はどこへ向かうのか、

 今までの道程にはどんな意味があるのかという問いへの答えが、この句には示され

 ているのではないだろうか。

                               (菅原はなめ)