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  小熊座・月刊


   鬼房の秀作を読む (171)    2024.vol.40 no.475



         地にもぐるもろごゑ雪の精を享け

                              鬼房

                        『潮 海』(昭和五十八年刊)



  季題の用例に従えば〈雪の精〉は雪女を指す向きもあるようだが、鬼房の場合には

 そのような情交を思わせるような詠みぶりにはなり得ないだろう。第九句集『半跏坐』

 に〈雪の精羽音ひびかせ燈を取りに〉の作があるところを見ると、鬼房にとってのそれ

 は一寸の虫のような、プリミティブなものの風情がある。

  〈地にもぐるもろごゑ〉は、現実の声でもあり、溶融しては降りつもる雪とともに地

 深くに沈んでいった死者の声をも思わせるが、羽をもつべき〈雪の精〉は決して軽や

 かな存在ではなく、声とともに〈地にもぐる〉。それは喩えるなら、地謡のような響き

 をもって私に迫った。これが能なら、夢幻能であろう。そのとき、私の脳裏に想起さ

 れたのは、核燃料サイクル政策の亡霊が後シテとして登場する岡田利規「敦賀」の

 形式であり、岡田の言葉を借りれば「その場に実在していないが、存在はしている」

 「幽霊だけが、自分の死を語ることができ」、「死は、公共化されることによって、

 政治的なものになり得る」(『未練の幽霊と怪物挫波/敦賀』 白水社  2020)。

  いま私がこの句を読み直すとき、そこには未だ公共に省みられて来なかった、無名

 の亡霊の残り香を否応なく感受してしまう。私は初め、この句に〈雪の精〉がもたらす

 五分のカタルシスに救いを感じつつ読んでいたが。いったい、そのはずだったのだが。

 しかし、もはや。

                          (大塚  凱「ねじまわし」)




  子どもの頃住んでいた団地は、禅寺を懐にした山にぐるりと囲まれていた。小学校

 の遠足では、その山の登山前に、禅寺の住職から、この団地ができたせいで、古くか

 ら霊泉とされていた伊達家ゆかりの湧水が止まってしまったなどと説教を受けた。それ

 ほど高くもない山だが、暗くなった塾の帰り道には巨大な影となり迫ってくるようだっ

 た。その山や星の声を聴きながら家まで歩いた。大人になった今はそれがどんな声だ

 ったのかもう思い出せない。

  「諸声(もろごゑ)」とは一緒に声を出すこと。雪の精を享受してとあるから、初雪

 の清らかな美しさに人々が歓声を上げている様子かもしれない。しかし、声はおおよ

 そ発話者の前方に向かっていくもの。「地にもぐる」とはどういうことなのだろうか。

 天から降りてくる雪の精たちは、歓声を物珍しく思って手を伸ばし、透明な幾何学構

 造の胸に声を抱いた。胸に抱く人間の言葉を不思議なものと思いながら、雪は土に触

 れると理由もわからず溶けてしまう。声は雪とともに地下へと染み入っていったのだ。

 いやしかし、諸声とは、そもそも人間の声ではなく、雪と大地の交歓の声であるかもし

 れない。そうであれば、ダイナミックなエロティシズムの一句にも思えてくる。声は

 種子となり、大地に潜り込んでやがて芽吹き、鬼房の創り上げた幻想の国である

 みちのくに、豊穣をもたらすのだ。

                                (小田島 渚)