俳句時評
2026.vol.42 no.493
訂正されない俳句史のために
小田島 渚
大きな革命よりも、認識の更新の積み重ねこそが現実を変える。東浩紀のいう「訂正の力」は、他者との応答を通して認識の枠組みそのものを書き換えていく作用である。本稿ではこの視点を手がかりに、近時の俳句論を通じて、俳句の定義、組織、表現、俳句史をどう書くかについて考えてみたい。
まず、日比谷虚俊の論考「俳句の境界線を引く」(『楽園』第五巻第二号)は、俳句とは何かという問題を正面から提起するものである。俳句とは「俳句作品の総体」といった包括的理解に留まるのではなく、他者に対して自らの「結論」を示すべきだという主張は重要である。それは、「俳句ではない」と切り捨てるためではなく、俳句とは別の表現として価値づけ直すための問いでもある。そこでは、曖昧な包摂によって思考停止に陥ることが警戒されている。日比谷の議論は、第二回楽園賞受賞作をめぐる問題から出発している。重要なのは、その異議申し立てを、選者であり楽園主宰でもある堀田季何が掲載というかたちで引き受けている点である。主宰が最終的な答えとして振る舞うのではなく、異論を誌面に開くことで、俳句の定義そのものが議論の対象として保たれている。
この観点から見ると、現在注目されつつある大学俳句の動向も興味深い。『俳句四季』四月号では、東北大学学生俳句会をはじめ十四の大学俳句会が特集された。また池田宏陸は、『noi』三月号俳句時評「大学俳句という運ムーブメント動体」においても、大学俳句の特徴を論じている。池田が指摘するように、大学俳句会では入学と卒業によって短期間でメンバーが入れ替わる。その急激な新陳代謝によって、一つの価値観が固定化しにくい構造が生まれている。
しかし重要なのは、単なる若さや流動性ではない。池田は大学俳句の特徴を「フラット(対等)」という言葉でも捉えている。現在の大学俳句では、互いの作品に対して感想や批評を返し合うことが活動の前提として組み込まれており、「個々の鋭さを保ったまま、水平な関係の中で俳句を書く」ことが可能になっている。作品提出、批評、推敲という循環が存在することで、互いの批評が次の作品へ返っていく。そのため、更新は単なる人員の入れ替わりではなく、創作の積み重ねとして機能しているのである。
一方で、結社は主宰を中心として長期的な継続性を持つ。そのこと自体は弱点ではなく、俳句の技術や歴史意識を継承する場として重要な意味を持っている。ただ、構造が安定しているからこそ、価値判断が固定化しやすい側面もある。問題なのは結社という制度そのものではなく、異議申し立てを受け入れる回路が存在するかどうかである。日比谷の論考を『楽園』が掲載したことは、その意味で象徴的であった。
また、俳句表現そのものも変化を続けている。神野紗希『俳句は肯定の文学』は、口語俳句をめぐる議論を整理しながら、近代以降の俳句において主体の感覚がどのように変化してきたかを描き出している。口語化とは単に話し言葉を導入することではない。近代的な個人の感覚や身体性を、俳句という形式の内部へ持ち込む試みでもあった。金子兜太「造型俳句六章」では、主体の要求が口語定型へ向かい、それがさらに文語定型にも影響を与えていく可能性が示唆されていた。神野の議論を踏まえると、その流れは俳句史の中で改めて捉え直されるべきもののように思われる。短歌においては俵万智の登場が口語化の転換点として広く共有された。しかし俳句では、同様の変化が起きていても、それが大きな転換として十分に可視化されてこなかった。神野の仕事は、点在していた変化を俳句史の流れとして位置づけ直そうとする試みである。
そして、俳句史において最も慎重な検討が必要なのは、戦争をめぐる問題である。『俳句は肯定の文学』第三章「戦争と口語俳句」では、富澤赤黄男「ランプ」の連作が論じられている。神野は、口語で書かれた七句目では個人的主体が前面に出ている一方、文語による八句目では俯瞰的な主体へ変化していることを指摘する。そこでは、文体の差異が単なる技巧ではなく、主体のあり方そのものに関わっている。
新興俳句には弾圧の歴史があり、その裏面として文学報国会への協力の問題も存在した。しかし多くの場合、その問題は十分に検討されないまま、概略だけが触れられて終わることが多かった。神野はこの点を避けず、高浜虚子、富安風生、長谷川素逝らの戦意高揚の俳句を具体的に取り上げている。もちろん、戦時下という特殊状況を単純に断罪することはできない。しかし、そこに戦争協力の側面が存在したことまで曖昧にしてしまえば、俳句史は自己正当化へ傾いてしまう。戦意高揚の俳句が十分に論じられてこなかった背景には、俳句という表現の自己像を損なわないようにする無意識の選別もあったのではないか。
新興俳句の弾圧と戦争協力は、戦後にどのように記憶されたのかという問題とも切り離せない。カズオ・イシグロ『浮世の画家』では、戦時中に体制へ協力した画家が、戦後、自らの記憶を都合よく書き換えながら生きる姿が描かれる。作中で、時局にそぐわないものとして焼かれる絵画に向かって警官が「くせえ絵はくせえ煙を吐きやがる」と語る場面は印象的である。本来絵は燃やされるべきものではない。しかし一度「処分されるべきもの」とみなされると、人はその前提に合わせて過去の意味を整理し始める。この構造は俳句にも無関係ではない。ある作品が「俳句ではない」と判断されるとき、その背後にはどのような価値観や力学が働いているのかを問い返す必要がある。また、戦時下の俳句を語るときにも、都合の悪い歴史を見えなくしていないかを考えなければならない。過去を完全に客観的に記述することはできないとしても、記憶の選別が行われていることを自覚し続ける必要はある。
俳句とは何かという問いに、最終的な答えは存在しない。しかしだからこそ、定義を放棄するのではなく、暫定的な理解を提示し続ける必要がある。その理解は、異論や批評によって絶えず書き換えられていく。俳句史もまた、一つの完成された物語として固定されるのではなく、複数の視点から書き換えられ続けることで、はじめて開かれた歴史となるのではないだろうか。