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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (109)      2019.vol.35 no.413



         羽抜鶏胸の熱くてうづくまる
                       
          鬼房

                                   『瀬 頭』(平成四年刊)


  誰しも得意な季語と、苦手な季語があると思う。実は私にとって、羽抜鶏は十指に入

 る苦手季語だ。どう頭を捻っても、満足いく句が詠めないので、何がそんなに難しいの

 か、分析したことがある。

  いくつか原因は考えられるが、最大の問題は、羽抜鶏に実感が無いことだと思う。今

 の時代、自宅で鶏を飼っている人が滅多にいない。似たようなものと言うと、かつて通

 っていた小学校でチャボを飼っていたが、チャボではあまり羽抜鶏という感じがしない。

 実際に見たり聞いたりしたことが無いので、羽抜鶏という言葉から、想像が膨らまない

 のだ。

  掲句の「胸の熱くて」というところに、私は惹かれた。羽抜鶏の生命力が表現されてい

 る。羽抜鶏は哀れな印象がある。その印象に囚われることなく、生き生きとした表現に

 至ったのは、作者に鶏と触れ合ったときの確かな記憶があったからだと思う。おそらく、

 作者は鶏を何度も抱いたことがあるのではないか。その中で、鶏の温かみを感じたこと

 もあったのだろう。その経験から、眼前の羽抜鶏の胸もまた、熱そうに見えたのだ。

  そういえば、かつて頭を捻ったとき、一度も鶏の体温に思いが至らなかった。優れた

 俳人が確かな経験を積むと、このような句が詠めるのだと、感動した。

                              (小野あらた「銀化」「玉藻」「群青」)



  羽抜鶏とは、難解な季語である。歳時記を開く。羽毛が抜け変る頃の鳥と羽毛が抜け

 落ちた鳥、とある。実は、羽抜鶏を見たことが無い。故に私は羽抜鶏の句を作ったこと

 が無い。歳時記の後者の鳥の意味合いを思い、実物を見たことが無い私には、安易に

 句を作れなかった。鳥の生態を正しく包含した季語である。それ故に安易に季語として

 用いることが出来なかった。再生と終末の両義を持つ季語でもあると思う。

  何故胸が熱くなるのか、そしてうづくまるのか。再生を思えば、羽毛が抜け変わる動

 的な温度の質感が読める。終末を思えばどうしようもない辛さ、エレジーが背後に漂う。

  しかし、うづくまる、のである。敢えてうづくまるのだ。膝を折り体を丸くししゃがむ姿勢

 であるが、これはあくまでその姿、ビジュアル。熱いは作者の現実の体温であり、うづく

 まるは心理的な描写と私は捉えたい。

  再生の時の経過をを静かに、静かに待つ。終末を容認しその姿勢で終末を迎える。

  羽抜鶏の存在を確かな視点で捉え、一見輻輳した印象を与えつつ、人もまた再生と

 終末を合せ持つやも知れぬ同じ生きものという気付きを感じる一句である。

  羽抜鶏の存在を、熱く、うづくまることで尊重している。熱くもありうづくまることの肯定

 が静謐を現出している。

                                            (関根 かな)