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 小熊座・月刊 
 


   鬼房の秀作を読む (110)      2019.vol.35 no.414



         明日は死ぬ花の地獄と思ふべし
                       
          鬼房

                                   『幻 夢』(平成十年刊)


  上五の「明日は死ぬ」の表現は、作者が闘病中の作句であり、かなり深刻な病状であ

 ったことを考え合わせると、定型で切れて作者自身の覚悟であることが解かる。

  「地獄」の措辞は筆者には強過ぎるのだが、そこに満開の花が配されているところに

 一種異様な光景も想像できる。より深刻さを増す効果があるのだろうか?それとも「花」

 はある種の慰めを意味するのか?かつて骸を樹元へ埋めた桜と、ナショナリズムで喧

 伝された桜のイメージの二重性からこの句の複層的な読みを可能にしている。座五の

 「・・べし」は本来、個々の理を超えた事柄への断定を示しているが、この句の「・・べし」

 は作者自身の確信と僅かな願望が垣間見えている。

  作者は、1980年代後半から何度か闘病生活を強いられていたらしいので、作者70

 歳前後の作であろうことが推測できる。三十歳前半に発表している他の桜の句「毛皮

 はぐ日中桜満開に」は戦後四、五年の作であり、文字通り社会派の内容であって、要す

 るに同種の季題でも大分に趣を異にしているのである。それはこの句がいのちを語っ

 ているからだろう。従軍生活を経験したことのある世代は、明日をも知れぬ、死に直面

 した経験をしているのであって、もしかしたら闘病生活の中で、ふっと上海での従軍生

 活が脳裏を掠めたのではないだろうか。

                                    (網野 月を「水明」「面」)



  この句は生気にあふれている。病と闘っている身でありながら、「明日は死ぬ」という

 仮定、「花の地獄」と己の死に諧謔を含ませながら泰然自若にとらえる視点に鬼房の俳

 人としての生への執念を感じる。

  余談だが、人は死ぬとその魂は肉体という拠り所を失い不安定になる。そこで仏教の

 僧侶たちは、その魂に「死んだ」という現実を諭し、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、天、

 人)への誘いを断つ。さらに仏道に赴くことを勧め、出家作法の一部を修する。これがい

 わゆる枕経というものだ。

  近年、都市部ではこの作法が省略される。遺体が病院から自宅に戻ってこず貸会場

 等に敷設された霊安所に直行されることが多いからだ。

  そんな場合、修練を積んだ僧侶は通夜の中で枕経を修す。仏道という進むべき道を

 自覚した魂に、極楽浄土に旅立つにあたって必要不可欠なものを、例えば戒名、血

 脈、灌頂などを授けるのが引導の作法である。これが葬儀の中核をなす。

  魂はそう簡単に成仏しない。それなりの手順と時間が必要となる。

  掲句だけを見ていれば、現実の死というものが見えない。そこが鬼房という俳人が、

 死の間際まで句に対して生のエネルギ―を注ぎ込んだ姿勢なのだろう。

                                            (𠮷野 秀彦)