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 小熊座・月刊


   2024 VOL.40  NO.466   俳句時評


    俳句界雑感
                         
渡 辺 誠一郎


  東日本大震災以降、世の中は一寸先が闇だと思ってはいたが、正月早々に起

 きた能登半島地震の勃発と羽田空港での航空機同士の衝突事故のニュースには

 驚愕した。一寸先は闇どころか、その闇は永遠に続きそうで、暗澹たる気持ちにな

 った。

  反面表現世界、俳句の世界の変化のなさは、安堵すら覚えるほどだ。確かに現

 在の俳句の世界は、特に社会性俳句や前衛俳句の登場、あるいは総合雑誌の創

 刊が相次いだ時期、そして結社の時代と言われて俳句人口が急増した時代に比

 べれば、今は元気がないように思われる。その理由の一つに、何よりも俳句人口

 の高齢化が際立つからだろう。後に述べるが高齢化それ自体は必ずしも悪いこと

 ではない。いやむしろ生老病死の最も身近な存在である高齢者の表現の深化に

 こそ未来がある。表現の新たな可能性があるとも言うべきかも知れない。二人の

 次の近作に感銘した。―柿本多映〈目覚めよ老人柿がたわわではないか〉、高橋

 睦郎〈雪の香の立つまで生きん志〉。そういえば、かつて三橋敏雄が俳句は「少年

 と老人の文学」と述べていたことを思い出す。しかし俳人の高齢化は、俳句社会の

 将来の姿を見えにくくしているのも事実である。それは今の社会の少子高齢化の

 抱える課題が、現代の俳句の世界にそのまま映し出されているからだ。

  この間、特に近年は、コロナウイルスが世界中に蔓延し、社会活動に大きな影

 響を及ぼした。学校、会社のみならず、個人の生活隅々まで従来とは異なるスタ

 イルが求められた。特に社会的距離の拡大策が次々に打ち出されたこともあり、

 社会は萎縮させられた。しかし一方、遠隔地とのコミュニケーション手段として、オ

 ンライン・リモートによる会議や俳句会の登場など、新しい動きも出て来た。これら

 の新機軸の登場、世の変化の契機は、かくのごときに現れるものなのだと印象を強

 くさえした。リモートによる句会は定着し、特に若い世代では当たり前のことになっ

 た。対面による句会との良し悪しはあるにしても、句会の一つのスタイルとして確

 実に定着した。その意味で、俳句は時代の潮流に確実に乗ったとも言えるのだ。

 そして新たな参加者も加わり、句会の敷居は低くなった。

  俳句世界の若い世代ということで言えば、二十六回目を数えた俳句甲子園は年

 々充実度を増している。俳句の若い層の輩出は、俳句甲子園の存在を抜きには語

 れなくなった。次の様に、優秀賞の作品の質も驚くほど高い。〈ウミユリの化石洗ひ

 ぬ山清水 辻颯太郎〉(岡山朝日高校)、〈月涼し伽藍に蟹の道のある 小田健太〉

 (名古屋高校)。若い世代の俳句の浸透で言えば、俳句甲子園のみならず、多く

 の俳句大会には、ジュニア部門が設けられ、地元を中心とした小中高生の数多く

 の応募がなされているのも明るい話題。

  小生も塩竈市ジュニア俳句大会に取り組んで、今回で六回目を迎えた。しかしジ

 ュニアの大会ゆえに、参加料はいただけない。それゆえ、行政のみならず地元の

 各種団体からの協賛に支えられている。毎回四千句近い応募数がある。少しでも

 俳句への関心が拡がればいいと思う。私も毎年俳句の授業のために、小中学校

 へ足を運ぶ。子どもたちは熱心に俳句に取り組んでくれる。わが町は芭蕉も訪れ

 た地ゆえ、その足跡を辿り、吟行を行うと俳句への関心、地域への関心も一段と

 高くなるのがわかる。〈道ばたの土盛り上がり春近し  中一 伊藤楓菜〉〈稲妻は

 いつも視界の外にある  中三 笠原彩音〉

  この様に各地、各結社での子どもたちへの試みはやがて大きなうねりとなって、

 花が開く時期が来ると確信している。

  他方文部科学省は近年、学校のスポーツの部活を地域に移行することに取り組

 んでいる。現在はスポーツに限られているが、学校の負担軽減を目的としている

 以上、文化部についても、同じような動きになる。ここにも俳句人口の若返る一つ

 の大きなカギがあるように思える。

  さらに未来のことで言えば、AIのことだろうか。俳句とAIとの関係で言えば面

 白いことが起きそうである。AIの登場は、結社のあり様はもちろん、俳句そのもの

 のあり様も変えるかも知れない。AIの作句方法は、既存の膨大な俳句を学習した

 データーから、俳句の「かたち」に抽出してくるやり方。これからは、少なくても歳

 時記に載っている見本のような句、類想を思わせるような俳句は作れなくなってく

 るだろう。人にしかできない「妄想?」の世界でないと新味はない。これからは生

 成AIの俳句をいかに裏切るかだ。「妄想の俳句の時代」が来そうだ。ここから新し

 い俳句の楽しみ方が広がるかも知れない。(「WEP俳句通信138号」一部掲載)

  ここまで書いて、気になる話題が目に止まった。「俳句」十二月号の巻末に、九

 月号に掲載された記事についての編集部と高橋睦郎氏の「詫び文」が載った。九

 月号掲載の記事とは、高橋氏が載せた黒田杏子氏と大石悦子氏を追悼したエッ

 セイの内容。これが黒田氏の名誉を傷つけたとして、遺族と九人の俳人が、「俳

 句」編集部に抗議・申入書を提出した。これに対する「詫び文」である。

  朝日新聞(2023・10・29付)によると、遺族などが指摘しているのは、高

 橋氏が大石悦子氏に会いに行く際に、黒田氏から言われた言葉に、「なんであん

 な馬鹿女と会うの、会わなくていいわよ」と述べたところ。さらに、黒田氏の俳句に

 向き合う姿勢以上に、俳壇内外に及んだ「行動」に傾斜し過ぎたことへの疑念の

 個所。

  限られた情報を前提とした話になるが、小生には高橋氏の文章が、偽りならばま

 だしも、抗議を受けるほどのものとは思えなかった。遺族の気持ちはわからないで

 はないが、文学の世界においては、この抗議には窮屈な感じがした。高橋氏の文

 章からはむしろ、黒田氏への精いっぱいの愛情すら感じると思うのは、皮相的な読

 みになるであろうか。一方俳人らが連名なのも気になる。それぞれが書く場所を持

 っている俳人たちである。編集部の「詫び文」の「人格・品位への疑念を抱かせか

 ねない部分」が痛々しい。少しばかり筆を執るのが重くなった。以上は、新聞と雑誌

 の情報の限りでの小生なりの感じたことだ。




 
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