2003年〜2005年 高野ムツオ(小熊座に掲載中)
2005/12 笹鳴
いずこにも東西南北秋の風
蔦紅葉縛り地蔵を縛らんと
蚯蚓鳴く土中に虹の夢見ては
太陽も日々を旅とすはせをの忌
笹鴫や大石悦子のうしろより
冬の虹とは折れ刺さりたる剣
木枯や秘密の部屋は水の底

2005/11 葛嵐
八月や空も地べたも真っ平ら
みんみんのみんみんみんと死に力
秋蝉の落ち尽くしたる空の青
飲むならば夜の稲妻をグラスにて
妄執に音色があらば昼の虫
月面を吹き来たるなり葛嵐
秋風に賢者の石が目を覚ます

2005/10 蟹の泡
蟹の泡積乱雲に続くべし
人間に戻りてプールより上がる
生き馬の息見えるなり夏の暮
空蝉や雨は無数の色を織り
晩夏光曲尺にて測るべし
尾花沢西瓜のうしろ虫の闇
秋風の見える望遠鏡が欲し

2005/9 海鵜
梅雨の森ここは巨人の肺腑なり
栃木三句 関東のあめんぼ百はたちどころ
また一つ光を吐きぬ梅雨の鯉
藤の実の我を忘れし光あり
東 京 牛よりも大なる今日の暑さかな
霞切や横顔のみの一家族
海鵜憂し光まみれであるがゆえ

2005/8
梅雨の虹
尻っぽ生えそうな夜なり蛍飛ぶ
詩に悶え死にたる白根葵かな
豚肉の脂の色に梅雨の虹
涼風の曲り角にて明日思う
炎昼や死者の箸のみ立っている
一枚の紗となり夏の象歩む
これは皆たましいですと梅を干す

2005/7 眼球
春の虹舐り続けて死ぬもよし
還り来し骨も混じりて黄砂降る
藤の花揺れ続けなば鬼女となる
葭切や諸神流竄記ここにあり
孤立無援孤立無援と夏の木は
眼球という水瓶も梅雨の底
日本に放置自転車梅雨探し

2005/6 若葉冷
めつむれば昼の深みに蝶の声
大空の頭蓋をこぼれ花の屑
花冷えの岩山一つ澄む気配
雨後ことに声玲瓏と花水木
月桂樹の花胸中の暗室に
雨の夜は炎の音を立て藤の花
黄金の柩が欲しき若葉冷

2005/5 草の芽
沫雪の胸のしだいに燻り出す
音のないベル鳴っている雪間草
此の世如何に穴を出でたる蛇の眼に
春夕焼血の塊となるまでは
水中に無数の黒目春の雨
草の芽の千人並もまた佳けれ
コンビニエンスストア黄砂降る音す

2005/4 上野駅
大寒の月光薔薇の温みもて
悼 桂信子
凍て解かぬ草が一本信子の死
黄金の重みぞ夜の雪解水
人間に弁当ありぬ梅の花
立春の言葉を溜めて上野駅
時間にも急流のあり春の雪
春の闇横隔膜があり動く

2005/3 犬の尾
墓場までも滅びし象の冬来たる
月光の分厚きを着て熊眠る
少年の胸の谷間も冬探し
朝の日を奏づるものに霜柱
コオレコオレ此ノ世氷レト夜ノ白鳥
次の世へまず冬の木が歩き出す
大の尾に掃かれておりしわが現世

2005/2
冬の崖
冬麗の皺も白髪も愛でるもの
風花の生まれ即ち消える声
万のレール跨ぎて鈴木六林男死す
背後より冬木の影が伸びてくる
薄日せば胸のふくよか冬の崖
沼底も冬の小鳥の栖にて
胞衣を脱ぐ詩の声のあり霜の夜

2005/1 我が友に
陸前の海を展げてわが御慶
韻文に韻文精神ごまめ喰う
仏の座ピアニッシモを生んでいる
塩土老翁の眼下を海猫帰る
松籟は蛇を眠らすためにのみ
我友にけさらんばさらん冬探し
小百合園
微笑みの泉をなせり聖夜劇

2004/12 十月の海
詩を語るなら十月の海に坐し
浜菊は浜菊のこと語りおり
東吉野三句
鯉百尾睦みているや夕紅葉
みちのくの芻蕘として冬紅葉
白昼の月光であり冬の滝
松島の波裏もまた小六月
声もろとも銀泥となり虫残る

2004/11 底紅奈落
弾丸となりたる夢や大西日
夕暮の底紅奈落われのため
桃一顆夜は潮騒を生んでおり
秋の風とは眼中を抜ける風
秋風が少年兵と名乗りけり
人間に人間の闇虫すだく
蟋蟀やここは銀河のとっぱずれ
2004/10 晩夏光
いつの世の夢噴き出でて百日紅
悲しみに生える角あり罌粟の花
胸に谷あり晩夏光瀑布なす
死後もまた雷雨を呼べる言葉欲し
まっすぐに行けば海底蝉時雨
法師蝉股間に夕日満ちる頃
鉄片の熱さとなりて秋の蝉
2004/9 胸 板
揺れてかつ直立不動真夏の木
トランペットも胡瓜も曲る光なり
黒揚羽身うちに飼えり変声期
鈴木慶子居
大阪の猛暑に澄める眼あり
青梅雨のもの少年の胸板も
梅雨雲を光源としてわが行く手
遠野とは一大真葛原のこと
2004/7 波 濤
天命の未だ朦朧春の月
晩春の我も波濤の一枚か
山形蔵王
山々は鯨波をなせり芽吹き頃
芽吹くとは血を噴くことか陸奥は
晩春の母の眼のごと独鈷沼
篠の子を囓れば夜の山が寄る
枝々は迷宮なせり鳥の恋

2004/6 花過ぎ
夕桜修羅ともなれぬ我が頭上
泥中に生れるものに詩と燕
死ぬならば蘆の芽と芽の間にて
春の虹これは土龍が生みしもの
花過ぎの人間ことに冷えている
鉛筆のような少年若葉より
鎌倉虚子立子記念館
虚子の句の裏より夏の鴬が

2004/5 春 の 霜
冬のピーマンわが心臓もこれぐらい
沈丁花嗅ぎたる順に物の怪に
来たるべき時間の光花菜漬
春塵の一塵として海原ヘ
青空の奥にてわれも捨蚕なり
太陽の真ん中お玉杓子生る
またも羅須地人の足音春の霜

2004/4 無伴奏
山寺二句
深雪晴秘仏の扉開くごとし
われもまた土中の蝉や深雪晴
春の物狂い鴎の目尻より
迷い入るなら春の森その陰部
蟇穴を出るには無伴奏がよし
恒河沙の光の一部として釘煮
海溝を抜け出てここに薮椿

2004/3 鑪
冬夜空更けては羽を全開す
詩に飢えて冬の鴎となるもよし
水仙の蜜吸う管の欲しき夜
鑪にて言葉研ぐべし吹雪く夜
両腕は抱くためのもの冬探む
鬼房先生三周忌
凍れ日も山河は青みつつありぬ
氷る蓄薇の木必ず帰る人のため

2004/2 牡蠣殻山
飢えていし心にもまた淑気満つ
しわくちゃな歳月牡蠣殻山にあり
時空遡行専用電車冬うらら
冬麗の翅生えている山手線
平塚よし子
暮れ際の光を溜めて青木の実
長山 茜
永遠の空席となり寒茜
大野風子
夕凍みぬテニスコートも川音も

2004/1 耳の木
身のうちに幾つもの崖十三夜
黄葉していよいよ聡き耳の木よ
更紙は冬青空の匂いせり
またたいているのは冬木河原鶸
冬虹を滑り落ちたる羽毛かな
北風やセーラー服と機関銃
愛と死とキャラメル冬の映画館

一枚は雪の匂いの賀状かな
目を瞑り諸手を展げ初蔵王
太陽に並び白鳥坐りいる
|