2014/2 bR45 徘徊漫歩 2
「小熊座」の創刊
阿 部 流 水
みなづきの極星をわが枕元 鬼房
これは「小熊座」の創刊号で鬼房が創刊の辞を述べた文章に引用された句だ。特
別に印象深く覚えている。創刊前年の作と文中に書いているが、おそらく創刊号を構
想し、準備しながら出来た句であろう。東北に生きる俳人として極北の星への思いも
さることながら、俳句会の名に込めた意気込みや目標など、鬼房の胸中が察せられ
る。
「小熊座」の創刊は、一九八五年(昭和六十年)の四月下旬(五月号)。俳句界のち
ょっとしたニュースだと思って、学芸記事に仕立てた。河北新報朝刊文化欄(四月二
十九日付)に「緊張感ある句作を/佐藤鬼房さんが月刊誌『小熊座』創刊/東北俳
壇に大きな刺激」という三段三本見出しで載った。創刊号の内容をかいつまんで紹介
し、「泉洞雑記」の一回目だった小熊座創刊の辞を要点だけ引用した。
鬼房は「格別の主張などはない」「教えるものはなにもない」と書き、「創造の世界
は教えたり教わったりするものではなく、自ら学び感得するものだ」「自立の磨きのか
かった美しさは類いない」と続ける。記事には談話も付け加えたが、鬼房の俳句観が
伺えた。「現在の俳句界を眺めると粗製乱造の感があり、俳句がだれている。メリハ
リの効いた緊張感のある俳句を目指したい。伝統俳句、現代俳句といった色分けは
嫌いで、強いて言えば、伝統の上に立った現代であるべきだ」
一方、小熊座の初句会は五月十二日(日)、仙台の中央四丁目(青葉区)にあった
東北電気会館で開かれた。日曜休日だが、取材がてら句会を覗きに出掛けた。初句
会の参加者は鬼房も入れて三十四人。今も小熊座に残っているのは数人しかいなく
なった。この時から私も飛び入りで参加した。
句会の後はビールとオードブル程度の軽い懇親会があり、門出を祝った。ただ一
人来賓として出席した久保忠夫さん(当時、東北学院大教授=国文学)は、「鬼房さ
んほどの俳人が結社も俳誌も持たないのは俳壇の七不思議と言っていいぐらいでし
た。これでやっと活躍の場と後進の指導の場が出来たのはとても嬉しい」という趣旨
の祝辞を述べた。
久保さんは萩原朔太郎とは同郷の群馬出身で東北大卒。朔太郎研究の第一人者
であり、土井晩翠、島崎藤村らの優れた研究者でもある。学者に徹していたが、詩人
肌の粋な人で親しくしていただいていた。最初は原稿の依頼や取材で研究室に伺っ
たが、鬼房のほか岡井隆ら先生の評価する文学者との交遊話など四方山話が尽き
ず、私的なお付き合いも楽しかった。研究室にお邪魔するとつい長居しては昼食を
何度かご馳走になった。いつもカツ丼の出前と決まっていた。庭の牡丹が咲いたから
見に来いと誘われて郡山(太白区)のお宅にお邪魔すると、奥様手作りのカツ丼を頂
いた。私も好きではあるが、先生のカツ丼好きは相当なものだと思った。
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