2014/3 bR46 徘徊漫歩 3
鬼房俳句の解説者
阿 部 流 水
前回は「小熊座」の創刊と初句会で祝辞を述べた国文学者の久保忠夫さん(当時、
東北学院大学教授・後に名誉教授)について触れたが、久保さんは鬼房選集である
「風の樹」(現代俳句協会刊現代俳句一〇〇冊の第二十六・昭和六十三年発行)に
解説文を寄せている。学者らしく鬼房の略歴と作品を突き合わせて解説している。概
論ではあるが、鬼房の句歴や俳句精神をコンパクトな形で知るのに役立つ。
久保さんらしい交遊ぶりが伺える内容でもある。久保邸で歌人の岡井隆と鬼房を
二度も引き合わせたこと、阿部みどり女が鬼房に目をかけていたことに触れており、
好意の溢れる文章である。エッセー風の柔らかな味わい深さもある。久保さんと話し
ていても鬼房、みどり女、岡井隆を高く買っているのが分かっていたから、肝胆相照
らす仲とは傍から見ていても気持ちの良いものだとつくづく思った。
短文の解説ながら、鬼房論としても核心をついており、次のような的確な指摘が光
る。「鬼房の作品には、句にも文章にも、執筆に必然性がある。作らずにいられない
という内部衝迫が感じられる。作品が生活に根底をもつのであり、生活を鍛えること
がそのまま句を鍛えることでもある」。鬼房は私との雑談でこの解説文をありがたく思
っていると話した。国文学者は文学史の流れの中に位置づけて評価してくれる点が
貴重だとも付け加えたように覚えている。
鬼房作品を語る文章で、もう一つ忘れられないのが第八句集「何処へ」(角川書店
・現代俳句叢書第十一回配本・昭和五十九年刊)の帯に記した神田秀夫の帯文であ
る。
「湿度は低く、風さへ澄む。 思ひやる人の心がまだ生きてゐる、情に厚い『みちの
く』の懐かしさ。そこに生れて、そこに生き、働いて老いた作者が、今、本物の『みち
のく』を、思ひをこめて描き歌ふ、きたへ抜かれた俳筆を駆って、自由自在に、縦横
に。それが、この句集の特色だ。 / だが、大正生れは、もはや残りすくない。古い
明治と今の昭和との狭間に立たされ、思ふことのみ多く、戦争のため、成し得たこと
のすくない晩年の峠に立って、失はれたる時を求める。その頽齢の詠嘆が、又一つ
の特色だ。自分が同世代のせいか、実に面白い。 / 『みちのく』と『晩年』との二
重奏。管・弦共に鳴るおもむきがある」
「本物の『みちのく』」と題する短文だが、この句集の特色や位置づけをずばり言い
当てていると思った。句会後の茶飲み話に「神田秀夫がね、ぜひ俺に書かせろと言う
ものだから書いてもらったんだよ」と、鬼房はぼそりと話した。まんざらでもないといっ
た表情だった。国文学者の俳人であり、評論家としても聞こえた神田秀夫の魅力的
な推挙文である。「久保さんの時と同じく学者先生に評価されることを特別に嬉しが
る人だな」と思いながら、鬼房の笑顔が印象深かった。
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