2014/4 bR47 徘徊漫歩 4
鬼房の第八句集「何処へ」
阿 部 流 水
「そりゃー、そういう作品は読者サービスの句だからね」。
出版されたばかりの第八句集『何処へ』(角川書店・現代俳句叢書第十一回配本・
昭和五十九年刊)の中には艶っぽい句が多いことに気づいた私が、〈貂の目をして
浜栗を嗅ぎゐたり〉、〈海の藻を引けばたちまち青胸乳〉などの句を引いて「色っぽい
ですね」と尋ねると、鬼房はそう即答した。(ヘー、読者サービスを考えるんだ)と、俳
壇で活躍するプロの俳人とはそういうものなのかと感心した。「六十代になって、枯れ
るどころか、かえって盛んに燃えるんだね」とも付け加えたのには、さらに感心した。
意気盛んな壮年ぶりで、鬼房の精悍な顔付きを見て、貂の目を思わせるものを感じ
た。
句集中の「泉洞夜話・海の無垢二十句」には、〈老梟となりゆくもよし波枕〉といった
老境に差し掛かった軽みの句とともに、壮年の艶っぽいエネルギーの充満する句が
たくさんある。そう思いながら鬼房の個性的な芸を面白く感じた。
小熊座俳句会が発足した昭和六十年は、鬼房の『何処へ』が出版された直後だっ
たから、小熊座俳句会に集まった連衆たちの間で、この句集がずいぶん話題になっ
た。私は河北新報紙上に紹介記事を書く手前もあってよく読み味わったし、鬼房自
身の自作解説めいた話も聞いたから格別親しみ深い句集である。「泉洞夜話」と題し
た諸作は想像力を駆使して創作した俳句だが、一方でこの句集には、みちのくの各
地を旅行して詠んだ挨拶句がたくさん盛り込まれている。鬼房俳句の多様性を示す
ものだ。
鬼房自作の年譜によると、昭和五十八年三月に六十四歳で退職をした鬼房は、八
月に青森を一巡する四泊五日の旅をしているほか、よく旅行に出ている。俳句を〈食
えない詩〉と規定して、食うために職業人としても励んできた鬼房が、悠々自適の生
活に入ったのである。それ以前にも俳句の交流のためなら可能な限り何処へでも出
掛けるという姿勢だったから、結構旅行はしていた。退職後は俳句一筋の生活と旅
行がさらに徹底されたようで、『何処へ』は、五十七、五十八年の東北旅行で詠んだ
句が大半を占める。
神田秀夫は、句集の帯に「みちのくと晩年の二重奏」と評したが、詠まれた〈みちの
く〉は鬼房の体感を通して独特の色調、風貌を備えている。冒頭に〈壮年の艶っぽさ〉
と書いたように、〈晩年〉というにはまだ早すぎる時期である。
〈鬼百合の幻花に一夜溺れゐる〉、〈黄落の日がきらきらと緒絶川〉、〈いづくへか辛
夷の谷の朝鳥よ〉、〈下北の首のあたりの炎暑かな〉、〈日は暮れたり巌鬼が裾の裸
子よ〉。私はたくさんの句に魅せられたが、俳人として功成り名を遂げた鬼房がみち
のくを縦横無尽に詠んだ句集として今も愛読している。〈綾取りの橋が崩れる雪催〉、
〈蟹と老人詩は毒をもて創るべし〉などの句も忘れがたい。
|