2014/8 bR51 徘徊漫歩 8
小熊座創刊一周年
阿 部 流 水
昭和六十一年五月号「小熊座」の編集後記の中で、鬼房は次のように書いた。
「五月号で一周年を迎えることになる。会として特に記念の催しの計画は無い。雑
誌にしても、五十名ばかりに句を寄せてもらったのと、阿部流水君に小誌の一年を
概括してもらっただけだ。しかし、私は一年という大切な折り目を忘れないだろう。
皆さんもどうぞ、新たな思いをこめて小熊座にかかわっていただきたい」
確かに記念行事は催さなかった。だが定例句会終了後、七、八人の有志がビヤ
ホールに集まって祝杯を挙げた。俳句のことや俳壇の誰彼について聞くなど鬼房を
囲んで雑談を楽しんだのを覚えている。鬼房はアルコールをあまり飲まないものの
かなり快活だった。二十ページほどの小冊子にすぎない「小熊座」が中央俳壇でも
好評だったのと、鬼房の第八句集『何処へ』の評価が高かったので、よほど嬉しか
ったのだろう。
「百花集」と題した一周年記念作品欄は五十三人が三句ずつ発表。小熊座で今
なお活躍中の人は高野ムツオ、山田桃晃、土見敬志郎、佐藤きみこの諸氏ら七人
だけ。鬼房は「魂の虎春月にこそ吠えよ」という気迫の句を寄せた。小生は「小熊座
この一年」を書けと言うので、活躍の目立つ俳人を中心に作風について三ページほ
ど書かせてもらった。一年前に作句を始めた初心者が先輩諸氏の作品を評すると
は厚かましいが、もともと俳句ジャーナルのかかわり方で入り込んだので、気楽に
考えていた。新聞記者は素人ながら、何でも屋としてあれこれ評する商売である。
無手勝流ながら、傍観者の野次馬根性を発揮して論じるものだ。鬼房もこちらの特
技を心得たもののようで、今後は毎月各地の俳誌紹介を書けという。鬼房のところ
へは俳誌が全国から送られてきていた。毎月二冊ずつ紹介することになり、「沖」
「狩」を手始めに七月号から連載を始めた。パラパラとページをめくり斜め読みして
から概略的な紹介記事を書くのだが、いろいろな傾向の俳句に接することが出来て
勉強になった。
この七月号からは、佐々木とみ子がシルクロード紀行「邂逅の町で」の連載を開
始。探検記のような紀行文は辺境の旅を重ねる俳人の面目躍如だった。九月号か
らは高野ムツオの現代俳句史評論「俳句探訪〜自己表現行為としての位相〜」の
連載も始まった。幼少からの実作経験と大学時代からの俳句研究を踏まえた本格
評論は読み応えがあった。表紙は目次だけの白っぽいものだったものを、十月号
からは宮城輝夫画伯の挿絵で飾るようになった。仙台で活躍中だったこの画家は
エキセントリックとも言うべく超個性的な人物。パウル・クレイのような面白い抽象画
を描き、異彩を放っていた。東西の芸術論や哲学を滔滔と述べる愛すべき人物で
もあった。前衛的な挿絵は小熊座の誌風と何となく通うところもあってピッタリ。かく
て「小熊座」は創刊二年目にしてますます内容を充実させていった。
後で振り返ると小熊座一周年のころ、鬼房は胃に違和感を覚えながら「小熊座」
の俳句選評や編集作業をしていたのだった。五月末の初診以後は、諸検査で入院
―胃や膵臓など複数の内臓疾患発見―六月中旬の大手術―と、試練が続く。瀕死
の状態をかろうじて切り抜けるという大変な時期と重なっていた。
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