2014/9 bR52 徘徊漫歩 9
鬼房の大手術
阿 部 流 水
小熊座が創刊一周年を迎えた昭和六十一年の五月二十八日、 鬼房は胃に違和
感を覚えて病院へ行った。診察の結果、胃に穴が開いていることが分かり、即日、
塩竈市内の総合病院へ入院した。手術前だった六月初旬、小熊座句会の連衆五、
六人とともに見舞いに行った。
応接室へ出てきた鬼房は、まだ諸検査を続行中の毎日だということで、普段と変
わらない様子で談笑に応じた。全身検査の上で処置は病院に任せた気安さからか
それとも無用の心配をかけまいと気遣ってか、むしろ明るい表情で話が弾ん だの
を覚えている。俳句の話ばかりではなく何事につけても、 鬼房の話はずばり核心を
突く明快さがあった。この時も、胃や膵臓などの病気検診の様子を分かりやすく話
してくれた。 自らの病状を医学的に、科学的に説明しながら、治療や養生も医学的
に実践しようとする態度には、大手術後のお付き合いでも感心させられた。例えば
大手術後に重湯から三分粥―五分粥と進んだ状況や、腸が働き出して術後初めて
屁が出 た時は嬉しかったなどと具体的に話すのだ。
手術は六月十八日。胃四分の三、膵臓二分の一、脾臓全部を切除する大手術で
四時間半もかかった。一週間後から流動食、次いで五分粥へと進むが、腸閉塞で
絶食を繰り返した。 このため、手術後暫くは面会謝絶が続き、病院へ行っても鬼房
夫人の話をきくか、付き添いが見えなければそのまま帰るしかなかった。そんなあ
る時、病室のドアが少し開いていて、 鬼房がベッドに横たわっている姿をチラリと垣
間見たことがある。何本かの管がつながれた状態だったので、かなり重篤 なのだ
と感じて暗澹たる思いをした。
それでも忍耐強い治療と養生を重ねた結果、鬼房は五分粥を続けながら次第に
快方に向かい、ベッドに起き上がる体力、 気力を取り戻した。その年の「小熊座」
八月号は、こうした状態にあっても、休刊することなく発行された。鬼房はベッ ドに
上半身を起こして座り、膝の上に書物や原稿用紙を載せながら編集作業をしてい
た。そういう場面に行き合わせた私は「何か手伝いましょうか」と声をかけ、編集を
手伝うことになった。新聞の編集作業を経験しているとはいえ、雑誌は手法も感覚
もまるで違う。だが、原稿さえ揃えば作業は難し いものではない。ページの割り付
け、表題と文中の活字の大きさ指定などをする。作業は原稿を家に持ち帰って行っ
た。
鬼房は編集後記にこう書いた。「八月号は『泉洞雑記』のほ か、小熊座集の『選
後感想』を休んでしまった。残念というほかない」。そして病気の経過報告を簡潔に
記す。八月退院の大分前に書いたもので、巻頭の鬼房作品八句も入院中の作だ。
「棕櫚の花内臓乾きゆくごとし」に始まって「盗汗後の眼玉大きく夜明け待つ」に至
る八句とも病中吟らしい情景や感覚が溢れている。中でも「ファーブルの糞ころがし
や夏を病む」 は評価の高かった名作。病気中も、また戦時中さえも精進を怠らない
鬼房の俳句人生が重なる。「明けやすき外科病棟の死霊かな」「夏霞弟子を捨てた
る人羨(とも)し」の二句にも当時の心境が出ている。特に病棟に死霊を見る句は忘
れ難い。
|