2014/12 bR55 徘徊漫歩 12
俳句尽忠
阿 部 流 水
「夏霞弟子を捨てたる人羨し」の句は、鬼房が昭和六一年の大手術で入院中の
作で、「小熊座」八月号に発表した。「弟子を捨てたる人」とは誰のことかと聞きはぐ
ったが、たぶん芭蕉のことかと私は解釈している。芭蕉は俳諧の宗匠として弟子に
囲まれて暮らせるものを、すべてを捨てて旅から旅へと漂白の暮らしを選んだ。自
由ではあるが、路傍に行き倒れになる覚悟の人生である。鬼房は「小熊座」創刊一
年余にして大病に倒れた無念さと同時に、俳句結社と月刊誌を持続する大変さに
大きなプレッシャーを感じていたに違いない。
小熊座を立ち上げる際には、個人誌か同人誌にしようかと考えたそうで、結社は
もともとあまり好きではなかったと私に話した。結社の形にしたのは周囲に投句欄
を望む声があり、資金や事務的援助も得られる当てがあったからだと言った。小熊
座で俳句を学ぶ人たちにとってはありがたい決断だったが、鬼房の負担は大きか
ったのである。結社経営の才覚と俳人としての技量は別物だと、俳壇批評を交えて
話すこともあった。多数の俳人と付き合いがあり、俳壇を俯瞰できる技量を備えて
いた鬼房の俳人評価には問題意識と批評性が溢れていた。興味があったが、あま
り多くは語らない訥弁だったから断片的なことしか聞いていない。「〇○は天才的な
閃きの俳句を作れた。かなわない」「××は秀才型で努力や勉強によって到達でき
るレベル」「△△は実作はいまいちだが、評論を書かせたらピカ一」などといった俳
人談義が思い出される。西東三鬼や山口誓子、永田耕衣についての寸評も印象深
かった。
俳句結社に出入りする俳人は十人十色だから、人間関係の軋轢や確執など様々
なことが起きるのは致し方ない。主宰に反抗して破門されたとか、結社間で引き抜
き騒ぎの対立があったとか、結社の金を流用・持ち逃げされた―などと俳壇のスキ
ャンダルを鬼房に聞いたことがある。しかし、いつの時も鬼房は「余談はどうでもよ
い。俳句を作ることが第一義だ。確固としてぶれない信念が大事だ」と話した。「俳
句が好きで、俳句に殉じてもいいと思っているからやってこられただけのこと。私に
他意はない」というのが鬼房の態度であった。
「小熊座」の昭和六一年三月号の「泉洞独語」(注・「独語」は「雑記」とすべきなの
を間違えたようだ。目次には他の号と同じ「泉洞雑記」とある)に鬼房は「俳句尽忠
のこと」と題する一文を書いた。「俳句研究」の鈴木豊一編集長と高柳重信が俳句
尽忠という時代錯誤と言われそうな言葉で俳句への情熱を語っていることを取り上
げたものだ。鬼房は次のように書いた。「重信の 『目醒め/がちなる/わが尽忠は
/俳句かな』 という句は、軍歌をもじって風刺した作品である。時代錯誤どころか
『 俳句尽忠 』の一語には一本の筋金が通っており、じんと胸にしみてくるものがあ
る」。共鳴しているのだ。
この一文は強く心に残ったから、鬼房の俳句談義を聞くたびに「俳句尽忠」を思い
出した。ただ俳句が好きだから、ひたすら俳句にかかわって飽きない。功名心や結
社の隆盛を競うなどという俗界の邪心がなく、純粋なのだ。俳句の鬼であり、俳句
尽忠を体現している鬼房に脱帽の思いを強くした。
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