小 熊 座 2015/3   bR58  徘徊漫歩15
TOPへ戻る  INDEXへ戻る






     2015/3  bR58   徘徊漫歩 15


               鬼房の書

                                     阿 部 流 水


  鬼房は自作の俳句を毛筆で書いた色紙を大小たくさん残した。鬼房の書と言えば、

 あの個性的な筆跡が思い浮かぶだろう。骨太で癖のある字だが、俳句の内容と相ま

 って独特の味わいがある。鉛筆やペンで書いても同じような書体だったから、普段着

 の鬼房が滲み出ている。

  鬼房宅へ伺うようになった昭和六〇年のある日、取材を終わっての帰り際、鬼房が

 俳句を自書した短冊を机に並べた。この中から好きなものを持っていきなさいという

 ので、短冊を二枚もらった。〈十六夜や藪も家並も谷の底〉と〈蟹と老人詩は毒をもて

 創るべし〉という作品だった。二枚選んだのを見て、鬼房は「おっ、欲張りだね」と言っ

 て笑った。鬼房は一枚のつもりだったのだろう。こちらは一枚選ぶのに迷ったのと、こ

 ういう場合は遠慮しない方が得策だと思ったので、二枚選んだのだった。新聞記者の

 図々しさが出てしまったとも言えよう。お蔭で帰りの道々、(いい宝物をもらったぞ)と

 いう嬉しい気持ちがした。

  この時だったかどうか記憶が定かではないが鬼房に書の話を聞いたことがあった。

 書は榊莫山に習ったと言った。通信講座で添削を受けたというのだ。莫山といえば当

 時もてはやされた書家で、テレビや雑誌などで見かけて私も興味を持った人だった。

 禅や老壮思想を体現したような書と言動が面白いと思っていた。鬼房は言った。

 「本名で受講していたのだけれども、ある時点で俳人の鬼房だということがバレたよう

 だ。急に書がほめられるようになった。名のある俳人だと分かられてしまったからだ

 ろうと思った。それで通信講座は止めてしまった」。昭和四六年、鬼房は五十二歳の

 時、榊莫山グループの山径社書展で「第一回山径賞」を受賞しているから、そのころ

 の話らしい。ただ聞き流してしまい、書に対する鬼房の考えなどを質問しなかった。も

 っと聞いておくのだったと、いま残念に思う。

  鬼房の書をまとめて鑑賞したのは、昭和六二年に「俳句と書の交感―佐藤鬼房・青

 木喜山展」が塩竈ギャラリーKで開かれた時だった。大小の表具に収まった鬼房の

 書が俳句の効果と相まって一つの世界を現出していた。個性的な筆跡と俳句のマッ

 チングを味わうとともに、文字の配列や墨の濃淡、余白の取り方、象形文字を取り入

 れた書体の工夫などいろいろな点に感心した。山、川、日、月、目などの文字は象形

 文字の方が表情豊かで面白いものだ。鬼房の俳句と同じように、書もまた内容と技

 巧がほどよく調和して、イメージ豊かな味わい深さがあると思った。

  篆刻も鬼房は独学で習得していた。自身で揮毫した色紙の落款に使っていたのは

 もちろん、懇意の俳人にもその人の名を篆刻した印鑑を作って進呈していると言って

 いた。武骨で不器用そうに見えながら、鬼房の意外な一面を見た思いがした。同時

 に、コツコツと独学で習得しては自家薬籠の物とする鬼房の根気強さと努力にまたも

 感心せずにはいられなかった。俳句に向き合うひた向きな情熱と集中力は何事にお

 いても変わらないのだなと思った。






パソコン上表記出来ない文字は書き換えています
  copyright(C) kogumaza All rights reserved