2015/4 bR59 徘徊漫歩 16
独学のすすめ
阿 部 流 水
鬼房と話していると、該博な知識にしばしば感心させられた。文学に限らず美術、
書、音楽、舞踏などの芸術全般にも通じている。特に文学の古典や現代の詩、小説
には造詣が深い。俳句に関しては、和歌の伝統から連歌、俳諧が生まれ、さらに発
句が独立して俳句の誕生に至る歴史はよく口にした。短歌の貴族的な出自に対して
俳句は庶民的なものとして生まれた点について鬼房は重く見ていた。山崎宗鑑の
「犬筑波集」や「遊びをせむとや生まれけむ…」で知られている庶民の歌謡集「梁塵
秘抄」をよく引用した。
歴史や伝統を踏まえた上で現在を生き、未来を目指すという姿勢はどの分野にお
いても大切だと言えようが、鬼房にあっては意識的に古典、伝統を学び、創作に生か
そうとしていた。それは日本の作品に限らず、中国、西洋にも及ぶ。 〈ソーニャの燈
地の涯に吾がまなぶたに〉(『名もなき日夜』)、〈除夜いまだ『静かなるドン』読みすす
む〉(『夜の崖』)、〈胼の手に文庫ワシレエフスカヤの虹〉(同)などの句には、ロシア
文学への関心の深さが窺える。カフカも愛読したらしく〈梁寒くカフカの夜がまたも来
る〉(同)という句もある。
およそ文学に携わる者は人間に関することはもちろん、動植物から宇宙に及ぶ森
羅万象に知的好奇心を燃やすものだ。俳句の季語が広範囲に渡ることからしても、
俳人にとって知識欲や探求心は重要な資質であろう。鬼房の知的な関心事も広範囲
であって不思議はない。
こうした鬼房の広範囲にわたる学識は、ほとんど独学によって身に着けたものだっ
た。鬼房の学歴は高等小学校卒業後、二年間夜間の商業補習学校で実業教育を受
けただけ。十代にして社会に出て働く必要があった。従ってその後はすべて働きなが
らの独学である。鬼房と接しながら、自らの意志に基づいてひとりコツコツと学ぶ独学
のすごさを思った。
俳句に限らず、文学の創作においては、詩的才能やインスピレーションが大事であ
る。鬼房も「句作においては学識や才覚を持ち込んではだめ。それらを一切捨ててか
からないといけない」と語り、感性を重視していた。だがその一方で、作家のバックボ
ーンには知識や認識が肥しになっていなければならないとも考えていた。学問的な知
識や技術を学ぶことによって視野を広げ認識を深めることも重要なのである。
鬼房は文学や思想をたくさんの読書や交流によって先人から学び、己自身の主体
的な思想や信念を築いていった。そのうえで現実をよくよく見据え、句作や評論に生
かす。俳句はもちろんのこと、特に鬼房の文章には古今東西の学識を取り入れなが
ら重厚に論考を進めるといった特徴が見られる。
鍛えぬいた俳筆は冴えていた。その最たるものは「消せぬ詩を」(初出「海程」昭和
41年6月号)という文学論的エッセーだろう。フランスの抵抗詩人・作家アラゴンの詩
集『エルザの眼』を引用しながら、「私も日常身辺の歌を通して、市民の、民衆の、社
会の、この国土につながる愛を歌いたい」 「人間そのものの表現をめざし古い詩型
を、私なりの仕方で工夫し表現してゆく」と述べている。
|